もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

アホなので、効率よりも、品質を重視する

 『仕事が出来る人間はスピードを重視する』という事をよく聞く。100%のものを1つ作るよりも、80%のものを2つ作る方が評価されるとかなんとか。

これってデザイナーにも当てはまるのだろうか、と忙しくなるたびに疑問に浮かぶ。もちろんテンプレを自分で作り、それをベースにデザインをするとか色々考えて効率化は図っている。それでもと、思う。全て同じ熱量で行えるほど、何かが一緒だとは思えないし、80%のものを2つ出せるのは、後20%は誰かリカバリーをしてくれる人がいる場合に限るのではないかと思う。20%足してもらえると期待もしていなかったのに、結果マイナスにされた事だってある。ならばと、100%にするための効率化を図った。それは間違いだというのか。

スピードを重視してクオリティの低いものに仕上げられて、嘆く人達を側でみて、それで評価が高いとしても、私はどうしても納得が出来なかった。

ただの仕事のやり方の違いなんだとは思う。

 

私が悩んでいたわけじゃなく、友人が同じ友人が悩んでいた。私は質を取れと答えた。今まで私が出来なかった事だから。質を取れるほどの時間なんてなく、ただひたすらにスピード重視をしてた。だから、時間がある内は、時間なんて使ってしまえよと思う。

今の私はひたすらさばいた結果からか、人手が増えて、質を求める事が出来はじめた。

あの頃私は一人で全てを抱えている気がした。今もそれに近い。頼れる場所はもしかしたらあるのかも知れないけれど、劣化されるくらいなら絶対に手放したくない。身を滅ぼしてもそれはしない。その覚悟だけは、ずっとある。

あまりにも手が回らず、手放せといわれて手放したモノの末路を見て、聞いて、そう思った。スピードだけじゃ、ダメなんだと。あんな悔しい思いは二度としたくないから。

 

誰でも通るような道なのかも知れない。雑誌で取り上げられるのはスピードだ。だけど私は質だと言いたい。会社に評価されたいとも思っていないしどうだっていいから。会社に勤めている人間としては失格だろうと自分で思う。

今日、仕事が積み積みでどれから潰そうかと考えて、1個手を伸ばそうとしたところ、頼れる所が助けてくれようとした。重要度は低かったけど、私がやった方が生産性が高そうだったのでやる事にした。『出来た』といったら速すぎて驚愕された。

元々仕事が早いと評価されている。どれ一つ手を抜いた記憶もない。それでも回らなかった時期がある。フリーランスではなく会社員だから、結局は守られた存在だけど、どこも頼れず、一人でひたすら頑張った。全て自己責任だと思って仕事している私のスピードなんて、人並みな訳がない。そこは自己評価できる。

 

そんな私が、スピードよりもクオリティだと思う。こんなんだからきっといつまでも貧乏なんだろう。我ながらアホなんだなと思う。それでも私は次の壁にぶつかるまでは、曲げる事はないだろう。『良いものは良い』って単純に思うから。

 

二度と会いたくない人が夢に出てくる事がある

そんなに長い人生を歩んできた訳ではないが「二度と会いたくない」人が何人かいる。理由は色々あるが、例えるならば「イジめた人間は忘れるけれど、イジメられた人間は絶対に忘れない」という事がほとんどで、この先もきっと許すこともない。そんな人達だ。にも関わらず、時々夢に出てきてとても嫌な気分にさせられる。

 

もう10年以上前、ブラック企業に勤めていた。そこにいた「二度と会いたくない」女が、やめてから5年ほどして夢に出てきた事がある。やめてから連絡を取った事もないし、あった事ももちろんない。とても恨めしそうな顔で無言でこちらを見ていた、というような夢だった。朝、起きて母に言うと「アンタよっぽど縛られてたんやな。早く忘れなさい」と言われた。

私は縛られているのか!とハッ!とした事があった。今でもその夢を鮮明に覚えている辺りが、もう呪いなんじゃないかな。

 

この夢を思い出したのも、この夢の女が可愛く思えるくらい「二度と会いたくない」女が夢に出てきたからだ。夢とは便利なもので、私の都合の良いように脳が話を作ってくれる。夢の女は私に何か許しを請うような目つきだった。そんな女に向かって私は

「二度と会いたくないし、今までの事を許す気もないです。私は怒ってます。あなたに何かをしてほしいともなんとも思わない。消えてください」とハッキリと目を見て淡々と答えた。

それでも女は私の後をズルズルとついてきた。あの頃のように。無視をした。そんな夢だった。

 

朝起きて、とても嫌な気分になった。あの頃本人にハッキリと言えなかった自分にとって、都合の良い夢。相手はなんとも思ってないし、私がこの先もこの女の事を許すことがない事を再認識した。

 

きっとこの先も時々出てきては嫌な気分にさせられるのだろう。そのたびに今回の夢の事もまた思い出す。記憶を消すことがきっと出来ない。良い事も悪い事も思い出箱に納められていく。

愛しい人達が夢に出てくる事は稀なのに、二度と会いたくない人は鮮烈な印象の夢になる。プラスの力もマイナスの力も同じ50なら、マイナスが勝つ、という事と似ている。きっと嫌な事は残りやすいんだろうな。

 

今、仕事もプライベートも人生で一番満たされている。本当にこんなに満たされる事があるのだろうかという戸惑いと共に「思い出せ」と言わんばかりに、二度と会いたくない人が出てくる。今の幸せの戸惑いの隙間に私の暗い部分が潜んでる。

だからこそ、もう失敗しないだろうと思う。幸せの戸惑いに、あの日々を映せる自分がいるのなら、道を踏み外す事もきっとない。忘れたい日々から急激に遠ざかる今の私は、あの日々に支えられているのだろう。そう思える。心から。

 

それでもきっと私は、彼女たちを許すことはない。

いつか笑って話せる夢を、私が見る日まで。

 

 

彼氏が倒れた

ラインで軽い感じで「体調悪くて~」と言うからのんびり差し入れをスーパーで買ったりして、家にこもるにはもったいないくらい春と夏の間の丁度いい日差しと風の中、ゆったりと軽い気持ちでお見舞いに行き、爽やかな外の風に押されながら、マンションの部屋の扉を開けると、電気も付いてないしカーテンも開いてない、熱のこもった部屋の奥で、ベットにも入らずに床で行き倒れてた。

意識はあったけど、袋を持ったままゼェゼェ言ってる。自律神経いかれてるのかと思って、いくつか質問をして、少しだけ様子を見る。頭痛、寒気、両腕のしびれ、吐き気。吐こうとするけど、何も吐けないし、頭痛がひどくて眠れもしないしで苦悶の表情。これは病院に連れて行ったほうが良いと思ったので、近くの病院を調べる。土曜日の午後。どこもやってない。吐く。背中をさする。調べる。さする。

なんとか1件見つけて、電話をかける。「あと45分で診察終了時刻なので急いできてください」と言われてタクシー会社に電話。1件目で断られて2件目はつながらない、焦りながら3件目でなんとかつながり、時間ギリギリで病院についた。

彼氏虫の息で、普段腰に鉄のパイプでも入ってるんじゃないかと思うくらい姿勢が良いのに、年老いオラウータンみたいにしか動かない。

空いてる病院がここしかなくてはじめてきた病院だったけど、とても大きな病院で施設もしっかりしてた。初見だからとCTなどで調べてもらって、結果「典型的な片頭痛」だと診断された。こんなけひどくて片頭痛なの!?と驚きながら、一緒に話を聞いていたら彼氏限界が来て、最大級に吐いた。これで片頭痛なの!?と二度驚いた。優しい先生たちも慌ててた。

何も食べれないので点滴を受ける事にした。「薬局も閉まるから会計だけ済ませてお薬貰ってきて、それから側にいてあげてください」と看護婦さんに言われるがまま、薬を貰いに行って病院に戻る。本人は辛いだろうけど、大きな病気じゃなくて良かったという安心もあって、ベッドで点滴受けてグッタリしてる姿にちょっと笑ってしまった。

薬を飲ませて「勝手にお薬手帳かわいいキャラクターにしてやったぜ」と言って笑ったら、弱弱しく笑った。少しだけ話して、飲み物買ってくるといって席を離れて、戻ってくる頃には眠ってた。頭が痛すぎて寝れないと言ってたから、だいぶマシになってるなと一安心した。点滴が終わるまで待ち、自力で歩けるのを見て、やっと大丈夫だなと思えた。

数年前に胃腸炎を繰り返したり、ストレスからの緊張性頭痛、微熱などを繰り返してたから、この辛さ分かるなと思った。どれだけ布団をかぶっても寒気は止まらないしね。

「もともと片頭痛はあったけど、明らかに今までも違うから怖かった」と言った。こわいよね、そういうの。側に入れてよかった。

 

家に帰ってから薬の説明をし、寝かせてだいぶ回復した。さすが病院の薬だ。やっぱりもう無理だ!と思った時は病院に行くべきだと学んだ。

今回病院に行くまでに病院に電話したりタクシー呼んだりとやり慣れていない事が多発だった。寒気がすると言っていたのに上着を用意してあげなかった事。病院の受付に早くいかなければ!と思ってさっさと行ってしまった事など、色々あった。今回はまだ彼氏が意識がハッキリしてたから良かったけど、意識がないとかもっと重症だった場合にどれだけ慌てずに状況を正しく判断したり伝えたりできただろう。弱ってる相手の支えになれただろうか、と、後から色々考えさせられた。

 

なんでこんなに体調悪いのにもっと早くちゃんと言わなかったのかと言ったら「心配かけたくなかった」とか、タクシー呼ぶと言ったら「この距離なら運転できる」と言ったり、自分を後回しにしがちな人なヤツほど、判断を間違える。気のせいか「そういう問題じゃない」という事が多くなった。色々きっと間違えてるのだろう。

 

「ほんま助かった。いてくれてよかった」と言ってくれたけど、逆の立場なら私も間違いなく思し嘘ではないだろうけど、もっと寄り添えたんじゃないかと、やっぱり思った。

色々抱え込みやすいから、ストレスためてるんだろうな。少しだけでも和らげてあげられてたらいいんだが…。

痩せたい人に捧げる言葉

『また昨日お菓子食べちゃった』『走ろうと思ってたけど、めんどくさくて走れなかった』

痩せる努力は長期的なものだから、目に見えないと中々頑張れない。私は、『痩せる』と宣言してきた人が、上記のようなセリフを言った場合に、いつも笑顔でニッコリと伝える言葉があります。

 

『※※さん。それは体がデブなんじゃなくて、心がデブになってるんですよ』

 

みんな目が覚めた!って顔します。痩せたいと思っているのに怠けてしまう人は、怠けようとする前に思い出してください。

 

その心がデブなんだと。

通るべき試練

大切な物が汚れてしまって、手に取ろうと思えなくなった。もう二度と戻らないと思った。手放したくないのに、戻らないと知る。傷ついてポッカリと心に穴が空いたのを通関した。穴が空いたなら、痛みなんて感じないように作って欲しかった。痛くて痛くて仕方なくて。

心に空いた隙間を違う物で埋めなければいけなくなった。同じ物は使えない。全く違う物で埋め続けた。この痛みを止めるためなら、それが偽物でもいいと願って。

埋まるはずないと思っていたのに、気付けばそれなりの形になった。「もう同じモノで埋めれないなら」と、素直じゃない私は違う手段を取った。ライトみたいな物をピカピカ光らせてデコらせた。アレとは全然違うけど、コレはコレで私好きだわ。埋め方間違えたというか、新しいなオイ。という感じで違う輝きを宿した。功を奏しすぎた。

 

痛みは消えてピカピカに光ってた。私が壊さなければ消えない光。でも、やっぱり違ったみたい。気付いたらデコらせた穴に、あの時なんかよりもずっとずっと、今までにない温かいモノが宿ってた。どこにいても、何をしてても感じる重み。これがここには相応しいパーツなのだろうか。

 

失ったらきっとまた泣くだろう。それでも、今宿っているぬくもりを手放す事ほど愚かな事はない。震えた日々を無駄にしない為に、勘違いの正しい選択をしよう。

貫通しないで。そのままずっと留まってほしい。

伏見稲荷のように連なる鳥居のある神社の夢をみた

最近はちょっと自分の深層心理的なものが働いてるような夢を見てる気がするけれど、それはそれで。

タイトルそのまま、大きな鳥居が夢に登場した。それも伏見稲荷のように連なる鳥居の先に、大きな神社がでてきた。『連なってるイメージ』が強かっただけで、伏見のように鳥居の街道になってたわけじゃない。遠近法めちゃめちゃで、鳥居も大きかったけど、その先にみえる神社も巨大だった。神社は見えてる。けれど鳥居連なってる。そんな夢だった。

 

 神社の鳥居は、聖域への入り口であり、浄化や救済の象徴です。 鳥居を見る夢は、あなたが浄化されたり、救済されたりする可能性があることを暗示しています。 また、鳥居をくぐる夢は、問題が解決され、仕事運や金運が上昇することを暗示する吉夢です。 しかし、鳥居をくぐれないと感じる夢は、あなたが準備不足であり、問題が解決されるにはまだ時間がかかることを暗示しています。

神社の夢の夢占い - 夢の夢占い

 

神社の鳥居を見る夢は、あなたが浄化されたり

今の状況から救済されるという吉夢です。

神社の夢占い!吉夢それとも?行動パターン別にご紹介! | Veryone

 

人生に完全につまづき、なぜか私は1つの神社に助けを求めて祈りを込めた事がある。それからずっと通い続けていて、その時のつまづきを解消できそうな日を迎えていた。自分の中で気持の整理がついて全て片付けられそうだったし「もう忘れていいよ」というサインみたいな出来事もあった。

だから夢を見る1週間前ほどに、その神社に「ありがとうございました」とお礼を言いに行っていた。良い事、悪い事、その時の感情全部をその場所に置いていた。感謝を述べながらこの数年間を思い出して、色んな感情が溢れて涙が出た。これからは自分が望む未来だけを聞いてもらおう、私を見届けてもらおうと思った。もう少しだけお付き合いくださいとお願いした。

 

夢で連なった鳥居を見た時に、その神社だと思った。こんなに大きくないけれど、鳥居も連なってないけど、その神社のような気がした。

1度だけ以前に夢に神様が出てきた時がある。その時も勝手にその神社の神様だ!と夢の中で思った。あの頃はもっと感情もドロドロでどうしようもない時だった。それなのに私が夢の中で願った事は、それらの感情を無視した未来の1択だけだった。目を覚まして、自分が汚れきったわけじゃなかったと泣いた。あの時に願った願いは、今も何一つ変わらず生きている。

 

あの鳥居がその神社だとしたら、本当にもう全てが終わるよと、教えにきてくれたのかな。神社にいくたびに「いつも見守ってくれてありがとうございます」と伝えていた。見守ってくれているとは思っていたけど、夢を見て、ホンマに見てくれてたんか!と思った。信じてたけど、信じてたけど。次の休みの日にやっぱりまた神社に行って改めてお礼言った。

 

全てが終わって、また新しい日々が始まる。同じ過ちを繰り返さない事が、本当に終わったという事。しっかり気持ちを引き締めて頑張ろう。

 

今こんな気持ち。

嫌な事も良い事もただ生きてるだけで過ぎていく。自身の体を通る事だけしか感じられず、私の横を通り過ぎていく物に目をくれる暇もない。色んな物が渦巻いてる中に自分が存在していて、自分を中心に物事が動いている訳じゃないと気付いている。それでも、それでも、出来るだけ自分の体の中に取り込みたいと思う。何もかも。もっと目を見開いて、遠くまで見て、小さき物も取りこぼさずに、それらを感じ取れるだけの刺激が欲しい。風を掴むイメージで、手の中をすり抜けないよう引っ張り上げるのは、きっとくだらないものなのだろう。それらを大切に抱いて、笑ってどこかに落ちていきたい。それが何処かとかもう何も考えず、ただ手を伸ばして風を掴もう。笑って何処かに落ちるため。それを見て皆続けばいい。ここは安全だよと叫ぶから。どこも安全な場所はないけど、きっと落ちていくだけで楽しい。思いっきり飛んで、乗って、跳ねて、着地するから。