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もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

痩せたい人に捧げる言葉

『また昨日お菓子食べちゃった』『走ろうと思ってたけど、めんどくさくて走れなかった』

痩せる努力は長期的なものだから、目に見えないと中々頑張れない。私は、『痩せる』と宣言してきた人が、上記のようなセリフを言った場合に、いつも笑顔でニッコリと伝える言葉があります。

 

『※※さん。それは体がデブなんじゃなくて、心がデブになってるんですよ』

 

みんな目が覚めた!って顔します。痩せたいと思っているのに怠けてしまう人は、怠けようとする前に思い出してください。

 

その心がデブなんだと。

通るべき試練

大切な物が汚れてしまって、手に取ろうと思えなくなった。もう二度と戻らないと思った。手放したくないのに、戻らないと知る。傷ついてポッカリと心に穴が空いたのを通関した。穴が空いたなら、痛みなんて感じないように作って欲しかった。痛くて痛くて仕方なくて。

心に空いた隙間を違う物で埋めなければいけなくなった。同じ物は使えない。全く違う物で埋め続けた。この痛みを止めるためなら、それが偽物でもいいと願って。

埋まるはずないと思っていたのに、気付けばそれなりの形になった。「もう同じモノで埋めれないなら」と、素直じゃない私は違う手段を取った。ライトみたいな物をピカピカ光らせてデコらせた。アレとは全然違うけど、コレはコレで私好きだわ。埋め方間違えたというか、新しいなオイ。という感じで違う輝きを宿した。功を奏しすぎた。

 

痛みは消えてピカピカに光ってた。私が壊さなければ消えない光。でも、やっぱり違ったみたい。気付いたらデコらせた穴に、あの時なんかよりもずっとずっと、今までにない温かいモノが宿ってた。どこにいても、何をしてても感じる重み。これがここには相応しいパーツなのだろうか。

 

失ったらきっとまた泣くだろう。それでも、今宿っているぬくもりを手放す事ほど愚かな事はない。震えた日々を無駄にしない為に、勘違いの正しい選択をしよう。

貫通しないで。そのままずっと留まってほしい。

伏見稲荷のように連なる鳥居のある神社の夢をみた

最近はちょっと自分の深層心理的なものが働いてるような夢を見てる気がするけれど、それはそれで。

タイトルそのまま、大きな鳥居が夢に登場した。それも伏見稲荷のように連なる鳥居の先に、大きな神社がでてきた。『連なってるイメージ』が強かっただけで、伏見のように鳥居の街道になってたわけじゃない。遠近法めちゃめちゃで、鳥居も大きかったけど、その先にみえる神社も巨大だった。神社は見えてる。けれど鳥居連なってる。そんな夢だった。

 

 神社の鳥居は、聖域への入り口であり、浄化や救済の象徴です。 鳥居を見る夢は、あなたが浄化されたり、救済されたりする可能性があることを暗示しています。 また、鳥居をくぐる夢は、問題が解決され、仕事運や金運が上昇することを暗示する吉夢です。 しかし、鳥居をくぐれないと感じる夢は、あなたが準備不足であり、問題が解決されるにはまだ時間がかかることを暗示しています。

神社の夢の夢占い - 夢の夢占い

 

神社の鳥居を見る夢は、あなたが浄化されたり

今の状況から救済されるという吉夢です。

神社の夢占い!吉夢それとも?行動パターン別にご紹介! | Veryone

 

人生に完全につまづき、なぜか私は1つの神社に助けを求めて祈りを込めた事がある。それからずっと通い続けていて、その時のつまづきを解消できそうな日を迎えていた。自分の中で気持の整理がついて全て片付けられそうだったし「もう忘れていいよ」というサインみたいな出来事もあった。

だから夢を見る1週間前ほどに、その神社に「ありがとうございました」とお礼を言いに行っていた。良い事、悪い事、その時の感情全部をその場所に置いていた。感謝を述べながらこの数年間を思い出して、色んな感情が溢れて涙が出た。これからは自分が望む未来だけを聞いてもらおう、私を見届けてもらおうと思った。もう少しだけお付き合いくださいとお願いした。

 

夢で連なった鳥居を見た時に、その神社だと思った。こんなに大きくないけれど、鳥居も連なってないけど、その神社のような気がした。

1度だけ以前に夢に神様が出てきた時がある。その時も勝手にその神社の神様だ!と夢の中で思った。あの頃はもっと感情もドロドロでどうしようもない時だった。それなのに私が夢の中で願った事は、それらの感情を無視した未来の1択だけだった。目を覚まして、自分が汚れきったわけじゃなかったと泣いた。あの時に願った願いは、今も何一つ変わらず生きている。

 

あの鳥居がその神社だとしたら、本当にもう全てが終わるよと、教えにきてくれたのかな。神社にいくたびに「いつも見守ってくれてありがとうございます」と伝えていた。見守ってくれているとは思っていたけど、夢を見て、ホンマに見てくれてたんか!と思った。信じてたけど、信じてたけど。次の休みの日にやっぱりまた神社に行って改めてお礼言った。

 

全てが終わって、また新しい日々が始まる。同じ過ちを繰り返さない事が、本当に終わったという事。しっかり気持ちを引き締めて頑張ろう。

 

今こんな気持ち。

嫌な事も良い事もただ生きてるだけで過ぎていく。自身の体を通る事だけしか感じられず、私の横を通り過ぎていく物に目をくれる暇もない。色んな物が渦巻いてる中に自分が存在していて、自分を中心に物事が動いている訳じゃないと気付いている。それでも、それでも、出来るだけ自分の体の中に取り込みたいと思う。何もかも。もっと目を見開いて、遠くまで見て、小さき物も取りこぼさずに、それらを感じ取れるだけの刺激が欲しい。風を掴むイメージで、手の中をすり抜けないよう引っ張り上げるのは、きっとくだらないものなのだろう。それらを大切に抱いて、笑ってどこかに落ちていきたい。それが何処かとかもう何も考えず、ただ手を伸ばして風を掴もう。笑って何処かに落ちるため。それを見て皆続けばいい。ここは安全だよと叫ぶから。どこも安全な場所はないけど、きっと落ちていくだけで楽しい。思いっきり飛んで、乗って、跳ねて、着地するから。

弔い合戦

子供の頃は同じ遊びで何度でも楽しめたけど、学習能力がついて大人になってしまった今、同じ景色を見る事も、成長しない自分でいる事も心から嫌になる。常に変化しておかないと、薄汚れたかのように感じてしまう。単に飽き性なだけでもあるのだけれど。

 

数年前。無い場所に、新しい場所を作れるだろうかと悩み続けた。悩みながらも怯えながらも、じっとしている事は出来なくて、往生際悪そうに小さな歩幅で歩いてた。あの時の悩みは今、消えそうになっている。場所が出来始めている。

変わりに元々いた場所は、ある日突然消滅した。そこに戻るつもりはなかったけれど、無くなるとも思ってなかった。

私が前線にいた遥か昔は、まだその場所に力はあった。離れてからは傍観しているだけだったけど、みるみるうちに衰弱化している気がした。誰からも求められないなら、無くなった方がマシだ。私が好きだったあの場所は、こんな場所だったのだろうかと、ただ冷めた目で見てた。

新しい場所を作るつもりで歩いてきた。その途中で芽生えた新しい気持ち。もう一度あの失った場所を私の手から作れないだろうか。私と共に消えた存在を、私の手で、新しい形で蘇らせたい。あの場所で感じた限界を無くして、私と一緒にこの場所で生まれ変わればいい。そのチャンスを、私に貰えないだろうか。

 

戻る気は無かったし、何の悔いもなかった。思い入れが詰まった場所だったけど、もう期待も出来なかったし、心から離れたかった。

「本当に好きだったんですね」と、いつか言われた。きっと誰よりも私が好きだった。だからこそ、あの場所にいるべきじゃなかった。

無い場所に場所を作れるかと悩んだあの日々が、私の自信になった。今度こそ、皆に喜ばれる場所として看板を担ぎたい。大好きだったあの場所を、違う形で作り替えたい。それが今の私の密やかな目標。

 

誰にも悟られず、気付いたら出来上がってたくらいの遥か下から攻め上げる、あの頃の私の為の、弔い合戦をはじめよう。 

テリトリー

人の心を開かせるのは上手いけど、自分の心を開けるのは苦手だ。それを見抜かれた。自分と同じだと言った。同類だからバレたのか。その片鱗を私も見ていた。ただ、私よりも広い範囲で触れにかかる分、閉ざしている物も大きく感じた。その分、相手の見えない部分が深いと思った。でも、そうではなくて、私が自分を隠しているから、相手に触れられないのではないかと思い始めている。

同類なら、何もかもが手に取るようにわかるものだと思ってた。本当は同類じゃないから中身が見えないのか。見えなくしているのは感情なのか。

開かせるのは上手いけど、開くのは苦手。バレた。その時点で弱みを握られているような感覚になる。私は一体何を隠しているんだろう。たいしたモノも持ってないのに。素直になる事が怖い。否定される事を恐れてる。

気付いてほしいと受け身でいるだけではダメだ。期待もしたくない。自分で私はこういう人間です、と自分から伝えたい。そしたらきっと否定されたって後悔しない。

相手は何を思うのだろう。隠したままで生きたいのか。誰かに何かを共有してほしいのか。隠したまま生きる方が軽いというならそれを願おう。共有したいというのなら全ては無理でも理解したい。

答えはきっとシンプルだけど、このテリトリーを守る事の方が慣れていて、そこに逃げたくなる心を、思いとどまらせてる。

触れるのが怖いのか、触れられたくないから怖いのか。臆病なのを今更治そうとは思っていない。許される限り、少しづつ、手のひらを上に向けていこう。

たらればとか、ifとか

過去と今を比べて何度もしがむように過ごしてる。自分を諦めず、絶望を耐え抜いた日々を、心から良かったと喜べる日を迎えられている事。小さな出来事の1つ1つが過去と結びつけ、その1つ1つが今は全く違う色味をしている事を映し出す。

良いも悪いも永遠なんて無いにしても、あのもがいた日々が、自分の想像していなかった方へと舵を切り、全く知らない場所に辿り着かせた。あの日々を通過しなければ見えなかった景色に、目を見開いて驚く事しか出来ない。

もし、私があの時、感情に任せて全てを手放して自他ともにメチャクチャにしていたら、と思う。それはそれでよかったのかも知れない。その時考えられる行動としての覚悟は出来ていた。だからそれでも後悔はしなかったと思う。けれど、今の景色を見る事は一生無かっただろう。それを考えると恐ろしい分かれ道だったんだと、今だから思える。通り過ぎてからしか見えない事ばかりで、見え始めた今、本当に、本当に、本当に、あの日々を耐え抜いた自分を抱いてやりたいと思った。

スタートらしい物が見えた1年前。「1年、全力でやってやろう」と決めた。1年間、全力で走りぬいた。ゴールとする1年間のこの1か月は、新しい1年の為の調整が出来る余裕があった。1年と決めた場所は最低限の通過点でしかなくなってて、やりたい事が山ほどできた見つかった。過去は過去で、未来だけを見据えている自分に気付く。

 

足を掴まれるようなら、掴まれる前に、足を前に出そうと考えた。そうやって走って、いつか見えない場所まで行ければ、きっと色んな事を忘れられるのだろうと思った。見えない場所まで走れたかどうかは分からない。けれど「1年」と決めてから1年。その1年が終わる最後の日に、私の足を掴もうとしていた人は目の前から消える事を知った。

ずっと過去にとらわれて、目の前から消えてほしいと願い続けた。それを気にしてる自分は弱いと思った。この弱さと向き合う為に逃げずに毎日葛藤した。嫌な気持ちばかりだった。人にアドバイスは出来るのに、自分の事となるとこんなに難しいのかと、無責任なことばかりを人に言っていた事を知った。自分さえ我慢すれば丸く収まるという考えが正しい訳じゃない事を知った。色々気付かされる日々に、さし出された助け船。隣の島で過ごす事を許された。隣の島での新しい生活。全てを忘れる事は難しかったけど、環境が変わった事で、過去を考える時間は減り、変わりにその時間は未来を考える時間になった。自分を大切にしようと真剣に考え始めた。

自分を大切にしようと思ったから、誰に笑われようが本気で挑み続けた。まだ過去に囚われてるから、その日々を思い出して、こう思う。隣の島にも聞こえるほど、私は賛辞を貰い続けた1年だったでしょ、と。

きっと面白くなかっただろう。私がいつか転ぶ事を望んでただろう。もし転んだとしても、私はまた立って歩けばいいと思えるほど、もう誰かの笑い声はもう怖くなくなってた。

その相手が、もういなくなる。

 

もう本当に過去と決別を許される日が来た気がした。もう忘れていいと、誰かに言われた気がした。1年前に、こんなこと事になるとは思ってなかった。走りぬいた私への「頑張ったで賞」を貰ったような気分。

 

もう少しだけ、過去をしがむ日々は続きそうかな。