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もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

見る夢が潜在意識と関係してるなら

おもうこと

夢は潜在意識から見るものでもある、的な記事を見た。この間私の好きなライターさんが夢に出てきたけど、私はその人と同じ高みを目指しているのだろうか。だろうかというか、目指している。

いつだって私は言葉を愛して、言葉に振り回されて、それを雑に扱う人を嫌い、言葉を濁す事を許さない。

意識だけじゃどうにもならない。行動あっての意識だ。その行動も私が素直に受け止められる言葉のレールの上を走りたい。そのレールを選んだ自分だけは信じられる。

すぐに答えは出ないだろうけど、この先に待っているのは確実に私が欲しかったものでしかない。

夢を見たなら、それが潜在意識なら、私は必ずそこへ向かう事が出来る。1年たっても2年たっても同じ夢を見て、1年前より近付いている。

それが答えだ。

記憶と感情にズレを感じたらその感情は即刻で捨てるべし

日常

絡む事はないだろうと思ってた人と食事する事になった。その人と出会いたくなかった訳ではないけど、出会わない方が何かと都合が良かったから。だけど都合が良いのはその時の話で、二人立場が違えば今は話せる事があるかもしれないと思って食事をした。

 

結果的に昔の話になって、話せなかった事を色々話したけど、記憶がよみがえると感情も戻ってくる。とても嫌な気分になった。とても嫌な気分になってこんな話の何が面白いんだと思いながら話していた。

昔ならきっと、聞いてほしい、わかってほしいという気持ちで話したと思うけど、もうどうだってよくなってた。ただ、話す時に少しの痛みを感じる。その痛み、いらないでしょ、もう。味わう必要全然ないでしょ。聞いてほしいとも思ってないし、なんの生産性も感じない。時間を埋めるだけの時間の無駄使い。そんなくだらない事に嫌な気持ちになる必要、ほんといらない。

 

記憶を消すことは出来ない。その時覚えた感情も完全に忘れる事はないのかもしれない。でも、その時覚えた感情とはまた違う感情も産まれる。新しい物だけでいい。過去の物は残骸でしかなく、執着もできず、ただそこに漂ってる程度のものならもう違う事を考えて新しい何かを産み出せばいい。その瞬間にそれはもう消えてしまうような物だ。

私はその事を文字にする。

関わる事がないと思ってた人と会い、話し、自分の中の記憶と感情が一致していないと気付いたその時の違和感に過去の終わりを見て、驚きでも喜びでもないこの感情は、時間以上に私が得たものの大きさが勝っているからではないだろうか。

あの頃どれだけ小さな世界で生きていたのだろう。どれだけ自分が小さな人間だったのだろう。今もまだまだ浅はかで愚かだとは思うけれど、それはこの先いくらでも修正が出来るものだと知っているし、それらは楽しみでしかない。そんな今の私には、あの頃の感情はもう似合わない。

そのための今日の食事だったのだろう。それを教えてもらった気がした。

表現者でありたい

昔持ってたこだわりとか意地に対して、なんてしょうもない事に感情の無駄使いをしていたんだろうと思う。歳を取った証拠なんだろう。見えてくるものが増えるのは良いことだと思うし、この先もきっと同じ事の繰り返し。その繰り返しの中で、私は自分が昔から育ててきた「表現者でありたい」という気持ちだけは薄めずに同じ事が出来るのだろうか。

色んな事が見えてきて、社会のルールだとかに沿って生きる事を覚える。ルールの上に乗る事は当たり前の事で、それが一番誰にも何も言われない、全うな道筋だと思うけど、本当にそうなのだろうか。そのルールは会社の為であって私の為ではない。社会人である限り、必ずついてくる問題なのだろう。何となく、意味のある事なのだろうか、と時々思う。この気持ちが消えた時、私は何か失うんじゃないかって心の片隅にいつもある。

尊敬する人が夢に出てきた

今朝の夢から夢占いしてみる

以前にも夢に出てきた事があるフリーライターが、また出てきた。

 

mochitime.hatenablog.com

 

その人が出てきて、文字や絵が描かれた紙の束を笑顔で私に渡してきた。

「今までの仕事の字コンテのシナリオ。○○さんにあげるよ」と言った。

その瞬間、夢だけど現実で嬉しすぎて涙が溢れそうになった感覚があった。なんのプライドかわからないけど我慢した。

「いいんですか!?」と厚かましい私。あげく

「これとか作る時ってどうやって考えるんですか?」とアドバイスまで聞き出す私。

 

一瞬だけどこれ以上の喜びは無い夢だった。

 

好きな人が出てくる事なんてほとんどないのに、二回も出てきた…。よほど好きなんだろう。神社に行って「恋したい。彼氏できますように」と、普段は絶対しないお願いを、色々思う事があってした願いをしたその夜にこの夢を見た。

神様、私の恋人は仕事だという事でしょうか…。不満はないんです。不満はないんですけど、ちょっと色々思う事があって、普段しない選択で、本気のバカなお願いをしたんです。不満はないし、その夢を見て涙が出るほど私は嬉しくて、この気持ちは今だ健在なのかと改めて思い出せた事はとても嬉しく感謝しかない事は間違いありません。不満はないんです…。不満はないんですけどぉぉぉぉぉ~ほぉおおおおおおーーーー!!!

 

 

憧れの人・・・憧れの人が優しくしてくれたり、明るい表情をしているなら、現実の世界で、あなたの願いがかなうという予兆
http://w.yumeuranai.jp/dic/dic.php?cd=010510

 

 

自分で1年ほど前にかいたライターさんが出てきた過去の夢日記を読んで、私は居心地の良い場所にこれたのだろうかと考えた。確実にあの頃よりもその場所に近づけた。

1年前に今日という日を想像できただろうか。「願えば叶う」なんて甘い物ではなく、ただひたすら自分だけを信じてできる限り実行に移した。

1年後、この場所にいられるとは限らないし、私がいるとも限らないと最近よく思う。できれば想像できなかった1年後であってほしいと願う。その為に何をしないといけないのかは、もう知ってる。

 

 

辛くなった時のおまじない

おもうこと

もういやだもういやだもういやだもういやだ、って思ったとしよう。

その絶望はおそらく消えないし忘れる事もこの先きっと無い。

でも、その体が知ってる事柄なんてこの世界の中のほんの一握りだから、立て直しをはかるなら、知らない所から答えを引き出さないといけないよ。この世は知らない事で溢れてる。知らない事で溢れてる。内側の絶望しか見えずに苦むのは飽きるまでにして、飽きたら速攻で外側に攻めるべきだ。

 

知るという事は良いことだ。色んな事を覚えると選択肢が増えてどんどん新しい何かに繋げる力となる。知らなかった世界が自分の世界になる素晴らしさは、知ってから理解できる事だから、まずは外の世界に出るべきだ。

いやだいやだの絶望は、知らなかった所からの自分の世界の始まり。その場所に来たかったわけじゃないから、今はまだ環境に慣れていないだけだし、その気持ちの悪い環境に慣れる必要はない。だって外にもっと広い世界があるから。外の世界に出て自分の世界を広げられた時、その絶望も知ってよかったときっと思える。知る事は良いことだ。今抱いた感情の全ての何一つ、無駄なんて無い。全部、知る事は良いことだ。

モテたくて結果、小汚いんぐ(ING)

おもうこと

髪が伸びてプリン化が進んでいる。いっそ黒にするか、前と同じ色にするかでずっと悩んでる。悩んでいる理由をリスト化すると大きく2つに分かれる。

◎黒髪

 メリット: 自分でそう思ってる&女子とおじさまからの支持が高い。

 デメリット:男ウケが悪い。髪が多いので暗い印象になる。

       クセ毛だから清潔な印象が半減する。

◎茶髪

 メリット:男ウケがいい(歴代の彼氏が黒染めした瞬間テンションが下がった&黒髪時に彼氏が出来た事がない)

 デメリット:黒が似合うと思ってる自分の価値に反するから。

       個性が死ぬ(周りと同色化する)。

       顔の印象から一気に派手になる(過去で言われた事からくる経験)。

 

ネットや雑誌で「男は清純な女性が好き。だから黒髪ロングは鉄板」みたいな記事をよく見るけど、全ての女子がキレイなストレートでもないし、マンガやアニメのようにキレイなシルエットを描けるような毛量でもないし、綿のように柔らかい髪質でもないのだ。人を刺す凶器になる強度を持っている事もあるし、そんな硬さで毛も多かったらシルエットは市松人形になる。しかも市松人形のようにストレートじゃないから。荒ぶった市松人形だから。私が市松人形なら即刻お祓いされるレベルで荒ぶってるから。テレビで取り上げられて悲しくて血の涙流しちゃうから。だって女の子だもの。

 

「黒髪ロングは鉄板」って情報はどこ吹く風ってくらい私の経験上、黒髪で彼氏に褒められたこともないおじさま以外の男性からの支持は低い。私はウキウキなのに「なんで染めたの?」ってガッカリ顔で言われる。私が思ってる以上に多分、黒いとめちゃめちゃ重い印象になるのだろう。

私はモテたい。

だから自分が好きな黒髪を我慢して茶色くしようというよこしまな気持ちがある、が、自分の個性と似合う黒を捨ててまで茶色くしてモテたいのか!という気持ちで葛藤している。

葛藤して伸びる髪に手を付けれず、結果プリン化が進んで小汚くなっている。一番良くない状態だ。モテたくて悩んでる間、どんどんモテなくなってる。

 

早急にこの問題は解決したいと思う。

 

 

 

春日大社の藤浪之屋の燈籠

日常 街の人々

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春日大社が20年に1度の「式年造替」を行っている。神様の住まいを建て替える為に仮殿に一時的にお引越しをされているようで、その本殿の修復中は特別参拝を行っている。禁足地の参拝や藤浪之屋の明かりのついた灯篭が見れたりして、本殿が修復中で網が貼られて中が見えない変わりに他の所がめちゃめちゃ拝める。藤浪之屋の灯篭に明かりが灯るのもある期間だけだからちょっとお得。

 

薄暗い中にたくさんの明かりのついた灯篭がとても幻想的。外国からの観光客もたくさんいらっしゃった。私の前の白人のおじさんはニコンのカメラ。私はミラーレス。二人して薄暗い中、人の邪魔にならないように良いアングル探しつつってやってたら、おじさんと道の譲りあいが暗闇で始まった。「どうぞどうぞ」「ドウゾドウゾ」「いえどうぞどうぞ」「ノー!ドウゾドウゾ!」「すいません!」って負けて先に通った。譲り合いの精神で日本人の私が負けた瞬間だ。

 

日本人からみても灯篭は美しかったけど、外国の人達からみた灯篭はどんな風に感じるのだろう。同じように美しいと感じてくれていたらいいなぁ。