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もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

今こんな気持ち。

おもうこと

嫌な事も良い事もただ生きてるだけで過ぎていく。自身の体を通る事だけしか感じられず、私の横を通り過ぎていく物に目をくれる暇もない。色んな物が渦巻いてる中に自分が存在していて、自分を中心に物事が動いている訳じゃないと気付いている。それでも、それでも、出来るだけ自分の体の中に取り込みたいと思う。何もかも。もっと目を見開いて、遠くまで見て、小さき物も取りこぼさずに、それらを感じ取れるだけの刺激が欲しい。風を掴むイメージで、手の中をすり抜けないよう引っ張り上げるのは、きっとくだらないものなのだろう。それらを大切に抱いて、笑ってどこかに落ちていきたい。それが何処かとかもう何も考えず、ただ手を伸ばして風を掴もう。笑って何処かに落ちるため。それを見て皆続けばいい。ここは安全だよと叫ぶから。どこも安全な場所はないけど、きっと落ちていくだけで楽しい。思いっきり飛んで、乗って、跳ねて、着地するから。

弔い合戦

おもうこと

子供の頃は同じ遊びで何度でも楽しめたけど、学習能力がついて大人になってしまった今、同じ景色を見る事も、成長しない自分でいる事も心から嫌になる。常に変化しておかないと、薄汚れたかのように感じてしまう。単に飽き性なだけでもあるのだけれど。

 

数年前。無い場所に、新しい場所を作れるだろうかと悩み続けた。悩みながらも怯えながらも、じっとしている事は出来なくて、往生際悪そうに小さな歩幅で歩いてた。あの時の悩みは今、消えそうになっている。場所が出来始めている。

変わりに元々いた場所は、ある日突然消滅した。そこに戻るつもりはなかったけれど、無くなるとも思ってなかった。

私が前線にいた遥か昔は、まだその場所に力はあった。離れてからは傍観しているだけだったけど、みるみるうちに衰弱化している気がした。誰からも求められないなら、無くなった方がマシだ。私が好きだったあの場所は、こんな場所だったのだろうかと、ただ冷めた目で見てた。

新しい場所を作るつもりで歩いてきた。その途中で芽生えた新しい気持ち。もう一度あの失った場所を私の手から作れないだろうか。私と共に消えた存在を、私の手で、新しい形で蘇らせたい。あの場所で感じた限界を無くして、私と一緒にこの場所で生まれ変わればいい。そのチャンスを、私に貰えないだろうか。

 

戻る気は無かったし、何の悔いもなかった。思い入れが詰まった場所だったけど、もう期待も出来なかったし、心から離れたかった。

「本当に好きだったんですね」と、いつか言われた。きっと誰よりも私が好きだった。だからこそ、あの場所にいるべきじゃなかった。

無い場所に場所を作れるかと悩んだあの日々が、私の自信になった。今度こそ、皆に喜ばれる場所として看板を担ぎたい。大好きだったあの場所を、違う形で作り替えたい。それが今の私の密やかな目標。

 

誰にも悟られず、気付いたら出来上がってたくらいの遥か下から攻め上げる、あの頃の私の為の、弔い合戦をはじめよう。 

テリトリー

おもうこと

人の心を開かせるのは上手いけど、自分の心を開けるのは苦手だ。それを見抜かれた。自分と同じだと言った。同類だからバレたのか。その片鱗を私も見ていた。ただ、私よりも広い範囲で触れにかかる分、閉ざしている物も大きく感じた。その分、相手の見えない部分が深いと思った。でも、そうではなくて、私が自分を隠しているから、相手に触れられないのではないかと思い始めている。

同類なら、何もかもが手に取るようにわかるものだと思ってた。本当は同類じゃないから中身が見えないのか。見えなくしているのは感情なのか。

開かせるのは上手いけど、開くのは苦手。バレた。その時点で弱みを握られているような感覚になる。私は一体何を隠しているんだろう。たいしたモノも持ってないのに。素直になる事が怖い。否定される事を恐れてる。

気付いてほしいと受け身でいるだけではダメだ。期待もしたくない。自分で私はこういう人間です、と自分から伝えたい。そしたらきっと否定されたって後悔しない。

相手は何を思うのだろう。隠したままで生きたいのか。誰かに何かを共有してほしいのか。隠したまま生きる方が軽いというならそれを願おう。共有したいというのなら全ては無理でも理解したい。

答えはきっとシンプルだけど、このテリトリーを守る事の方が慣れていて、そこに逃げたくなる心を、思いとどまらせてる。

触れるのが怖いのか、触れられたくないから怖いのか。臆病なのを今更治そうとは思っていない。許される限り、少しづつ、手のひらを上に向けていこう。

たらればとか、ifとか

おもうこと

過去と今を比べて何度もしがむように過ごしてる。自分を諦めず、絶望を耐え抜いた日々を、心から良かったと喜べる日を迎えられている事。小さな出来事の1つ1つが過去と結びつけ、その1つ1つが今は全く違う色味をしている事を映し出す。

良いも悪いも永遠なんて無いにしても、あのもがいた日々が、自分の想像していなかった方へと舵を切り、全く知らない場所に辿り着かせた。あの日々を通過しなければ見えなかった景色に、目を見開いて驚く事しか出来ない。

もし、私があの時、感情に任せて全てを手放して自他ともにメチャクチャにしていたら、と思う。それはそれでよかったのかも知れない。その時考えられる行動としての覚悟は出来ていた。だからそれでも後悔はしなかったと思う。けれど、今の景色を見る事は一生無かっただろう。それを考えると恐ろしい分かれ道だったんだと、今だから思える。通り過ぎてからしか見えない事ばかりで、見え始めた今、本当に、本当に、本当に、あの日々を耐え抜いた自分を抱いてやりたいと思った。

スタートらしい物が見えた1年前。「1年、全力でやってやろう」と決めた。1年間、全力で走りぬいた。ゴールとする1年間のこの1か月は、新しい1年の為の調整が出来る余裕があった。1年と決めた場所は最低限の通過点でしかなくなってて、やりたい事が山ほどできた見つかった。過去は過去で、未来だけを見据えている自分に気付く。

 

足を掴まれるようなら、掴まれる前に、足を前に出そうと考えた。そうやって走って、いつか見えない場所まで行ければ、きっと色んな事を忘れられるのだろうと思った。見えない場所まで走れたかどうかは分からない。けれど「1年」と決めてから1年。その1年が終わる最後の日に、私の足を掴もうとしていた人は目の前から消える事を知った。

ずっと過去にとらわれて、目の前から消えてほしいと願い続けた。それを気にしてる自分は弱いと思った。この弱さと向き合う為に逃げずに毎日葛藤した。嫌な気持ちばかりだった。人にアドバイスは出来るのに、自分の事となるとこんなに難しいのかと、無責任なことばかりを人に言っていた事を知った。自分さえ我慢すれば丸く収まるという考えが正しい訳じゃない事を知った。色々気付かされる日々に、さし出された助け船。隣の島で過ごす事を許された。隣の島での新しい生活。全てを忘れる事は難しかったけど、環境が変わった事で、過去を考える時間は減り、変わりにその時間は未来を考える時間になった。自分を大切にしようと真剣に考え始めた。

自分を大切にしようと思ったから、誰に笑われようが本気で挑み続けた。まだ過去に囚われてるから、その日々を思い出して、こう思う。隣の島にも聞こえるほど、私は賛辞を貰い続けた1年だったでしょ、と。

きっと面白くなかっただろう。私がいつか転ぶ事を望んでただろう。もし転んだとしても、私はまた立って歩けばいいと思えるほど、もう誰かの笑い声はもう怖くなくなってた。

その相手が、もういなくなる。

 

もう本当に過去と決別を許される日が来た気がした。もう忘れていいと、誰かに言われた気がした。1年前に、こんなこと事になるとは思ってなかった。走りぬいた私への「頑張ったで賞」を貰ったような気分。

 

もう少しだけ、過去をしがむ日々は続きそうかな。

伏線

おもうこと

何でもない事柄が時間をかけて繋がった瞬間、都合よく運命だと思ったりしてしまう。それが2,3,4,5と重なっても、やっぱり都合の良い事柄なのだろう。

自分の経験から飛び出したいと思うのに、自分が知っている事は経験だけ。失敗したくない。失敗だと決めつけるのは、それ以外の可能性を考えた時に怖くて仕方がないと思うから。とりあえず、で、やる事が、私には大切なのだろう。失敗するにも、経験してからじゃないと失敗にもなりやしない。それくらいわかってる。

何度も考える。きっとどうあがいてもこの道は避ける事が出来ない道だ。大人げなくジタバタするのもいいのだろう。全力で叫んだっていいのだろう。私に足りない物は何なのだろうか。覚悟か、素直さか、自信か。

今までにないカードを引くなら、どう引けばいいのか。経験以外で私が引く術ばかりを考えてる。それが正解とも限らないけど、今までと同じ景色は見たくない。それ以外ならなんだっていい。違う方向を目指してみたいのだ。

最後は同じかも知れないけど、考え抜いて選んだカードなら後悔はない。悩むだけ悩んで、新しい選択をしてみよう。

人との価値観の違い

おもうこと

1人ならすぐに選択できるけど、誰かがいると選択できなくなる。それだけ私の意思は弱かった。人と違う選択をする事がおかしい、恥ずかしい事だと、誰に教えられた訳ではないのに、私は違う、と貫けなかった。

違う事を安易に見ていた。多数決ではないけど、それでその瞬間が早く進むならそれはそれでいいと思っていた事は確かだ。だけど、時々その前に読めてしまう事がある。それは良い結果を産まないのじゃないかと。その時だけが心残りだった。なんであの時に言わなかったのだろうという、思い出せないほどの小さな心残りの傷みだけが残っている。その気持ちが積もって、やっと、これじゃだめなんだ、と気付いた。

 

何が違うかったのか。私は何がしたかったのか。何に楽しいと思って、何に怒りを覚えるのか。その1つ1つが不明瞭で、明確化しなければいけないものだった。すぐに言語化できるほど素直じゃなく、それほど素直なら「その瞬間が早く進むなら」という考えにはきっとなっていない。積み重ねただけ、紐解かなければ。その忍耐力だけはついている。

 

人の優しさや心配をおろそかにするつもりはない。でも、自分の中の誓いを誇るなら、長い目で見て死ぬ気で走らないといけない時があったって良い。それは一瞬でしかないと私自身が思っている。「今」が大切なのだ。頑張りすぎているのかもしれない。けれど「今」乗り越えるなら、それくらいやらないと自分が満足できる場所に届かない。その方がずっと苦しい。人からのやさしさや心配で、惑わされる事はなくなった。その気持ちだけはありがたく受け取るけれど、私は止まりたくない。

 

少しだけ何かが変わりそうな日に、1年前の今日と同じ時の事を思い出してた。あの時、何を考えて歩いていたかは思い出せなかったけど、執念よりももっと強い、魂を破壊してでも自分を突き動かそうとしていた事は覚えてる。

今の私があるのは間違いなく、その時の私がいるからだ。あの時ほどの、むき出しのもろさはなくなったけど、水面下で動かしているのは同じ物だ。ある日突然、自分の中に産まれたもの。今の私を象るもの。形は変わり続け、この先もっと変わるだろう。だけど消える事だけはきっとない。

そういうモノがずっと自分の中にあったのに、ソレに気付かなかったから、人の意見に左右され、疑問は持ちつつ、なぁなぁにしてきた。でも産まれてしまった。私はきっともう、自分を守るためなら何かを失う事をためらわない。

金が無い時は自炊した

日常

極貧時代は365日自炊で、お金が豊かになった分、時間が無くなった今は外食三昧。その生活にも慣れて心にゆとりが出来、少しだけ自炊しようかなという気持ちになりはじめた。そこで改めて気付いた。だてに8年くらい自炊していただけあって、冷蔵庫にあるものだけで作れるし、適当にペンッと料理を作れる自分がいる事に。

 

何かを作りだす事が好きだから、料理をする事がそこまで苦でもなかったけど、それでも365日自炊をするのに嫌気がさす時がなかったわけじゃない。やらなきゃいけないという気持ちでずっとやっていた訳じゃないけど、心のどこかで無理をしている部分は1%くらいはあったのだと思う。その苦労は無駄じゃなかった。生きていくために必要な筋肉をちゃんとつけていた事に気付いた。

 

時間にゆとりがないと心のゆとりも減るけれど、あの時の自分も同じだったと思う。バランスをとりながら、ゆっくりゆっくり、料理の腕もワンランクあげられたならいいな。