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もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

髪を伸ばしたくて4か月我慢して美容院に行った結果

日常

髪を伸ばしている。4か月我慢していい感じの長さになってきた。毛先は傷んでるけど。毛量がヤバイけど。こういう時に美容院に行くかどうかで悩む。美容院に行って「毛量だけ減らして」と言っても、物理的に切られてるから絶対に短くなると思っている。だから極力行きたくはない、というのが本音だけど、かといってこの見た目が女子としてイケてるのかと言われるとどうなんだ?とは思う。けど行きたくはない。

 

ただ髪も染めているから、4か月我慢すると根元がプリン化が進んで、そっちもかなり気になる。気になりすぎてこのストレスを胸に抱く必要あるか?いいや無いね、という事で美容院に行く事にした。

執着するとあんま良い事ない、というのが私の考えてでもある。悩んでいる間に「髪に執着してる気持ち」があるのは気付いていたので、毛先もカットしてもらう事に。

カットとカラーと、トリートメント。毛先は2~3センチ切ってもらう事にした。うぅ…4か月伸ばしたのに…1カ月1センチくらいしか伸びないのに…。仕方ない、キレイな髪になるためだ…。

カラーも傷みの少ないナンチャラカラーに変更して、春も近いしトーンも上げてもらう。仕上がりを見ると、スッキリしていてイイカンジだった。

そういやロングに憧れすぎてたけど、これくらいの方が長さ的には似合うんだよな…と思いだした。

翌日会社に行くと「なんか雰囲気違いますね」と言われた。毛量はガッサリいってもらったけど、長さはそんなに変わってない。色味もワントーン上げただけだし。それでも気付かれた。違う人にも「髪型変えた?素敵ですね」と言われた。男性でもこの微妙な変化に気付くのか!と驚いた。

 

と、同時に、やっぱり4か月は放置しすぎだったのか…。と、ちょっと反省。

伸ばしている間でもやっぱり気分よく過ごそうと思ったら、ちゃんと美容院でお手入れしてもらう方がいいのかも知れない。

 

正直自分でも時間が経つにつれて「別人か?」と思ったから。美容師の腕が良かったのかも知れないけれど、人よりも髪が多くて硬い私みたいな人は、人並みよりシッカリ目にケアしないと、なかなかイイカンジにはなりにくい所があるから。しばらくは気持ちよく過ごせそうだ。

 

私の頭の中の3択クイズ

日常

ご飯を作るのを考えるのがめんどくさくて、同僚に今食べたい物を聞いて、言われたご飯を作ろうと思った。「豚キムうどん」だった。そんな気分じゃないと答えて、スーパーでキムチと豚とうどんを買って帰った。

もし明日結局何にしたのかと聞かれたらどうしようかと思って、三択クイズでも出してやろうかと思った。

 

「では昨日の私の晩御飯、3択クイズです。

1・ブタキムうどん

2・ブタキムうどん

3・ブタキムうどん

さぁ、回答をどうぞ」

とかって聞いて、え?って多分なるだろうけど、きっと優しいから3つから選んでくれるに違いない。そしたら私はこう答えよう。

「正解は、4・ブタキムうどんです」と。

 

晩御飯何だったかとは聞かれないけど、だいたいこういう事で私の頭の中はいっぱいです。

 

なら瑠璃絵2017

日常

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2回目のなら瑠璃絵。久しぶりにいったけど、めちゃめちゃパワーアップしてました。

会場一面ライトアップ。めっちゃキレイ!

 

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防寒対策は万全にしていったけど、カメラ持つ手はさすがに死んだ。その後のあったかい飲み物で生き返ったけどね。楽しかった。また行こう。

自信が無いから努力してた

おもうこと

昔の写真を見てていつも思う事がある。どうしてずっと自分の髪型が嫌いだったのだろうと。

ロングだったかと思うと、ばっさりと男の子みたいなショートカットになり、金色のような色をしていたかと思うと、カラスの濡れ羽みたいな黒になる。髪型が全く定まっていなかった。その髪型をしている間も、これが私に似合ってるのか?ベストなのか?といつも何かしら葛藤をしていた。

 

オシャレだと言われる事が結構ある。正直センスだけなら自信はあるけど、容姿やスタイルは人並みだし、格別どこかが優れているなんて所は一つもないと思ってる。だからこそ、自分が一番よく見えるのはどれなのか?を常に研究していた。その中でも一番コンプレックスが強かったのが、髪の毛だと思う。

多い、太い、男性よりも硬い。しかも真っ黒でクセまである。女の子の命でもある髪が、どうしようもないくらい扱いにくくて好きになれなかった。だからしょっちゅう髪型が変わっていたし、ケアにも余念がなかった。

 

周りから見たら『髪型を楽しんでる』と思われたのかも知れない。真逆だ。全く楽しくなかった。ふつうに女性らしいストレートで風に揺れる髪だったらよかった。それだけでよかった。と思ってた。

 

いつも思う。しばらくしてから写真を見たら、どの髪型も似合ってるじゃないかと。しかもめちゃめちゃツヤツヤじゃないかと。なんで素直に楽しめなかったんだろう。もっと自分を好きでいれあげなかったのだろう。コンプレックスで努力して容姿を磨くのは良い事だ。だけど、磨いている自分をほめたり満足してあげないと、いつまでたっても理想の髪型にはなれないよ。

自信のつけかた

おもうこと

どうしようもなく自尊心が低くて自信も全くない、はずだったのに、「最近の(私)の自信凄いね」と言われて、おや??となった。今の環境だからついてる自信かも知れない。自分の自信に確信はないけど、1つだけ言えるとしたら「今の私が好きだ」と胸を張れる。どうしてそうなったのか。

やりたい事をやった。ほんとソレだけなんじゃないかと思う。やりたい事をやるために、嫌な事から逃げなかった。恥ずかしいという気持ちに負けなかった。自信をつけるためには、自分の弱さに打ち勝つ強さが必要だった。

 

少し強い言葉で言うのなら、自信がなくても、死のうと思わない限りは死ぬ事はない。少なくても以前の私の自信の無さは、死にたくなるほどの価値ではなかった。心の中に「自信がない自分」がずっと住んでて、息苦しくても、生きていた。だからこそ問題で、なんでこんなに息苦しく生きているのかなければいけないのかと思ってた。

 

昔から人前で話すことが苦手だった。私の言葉が受け止められなかった時に、傷つくのが怖かった。笑われるのが怖かった。頭の中で色んな事を思ってるのに、自分の本音は外に出さなかった。それで丸く収まるならと、言葉を閉じ込めた。

でも、私が言葉を閉じ込める事で、私の気持ちはどうなるの?スッキリした?全くしないよね。それが他人に対しての愛だというのか?そんな自分を、他人は愛してくれるのか?仮に愛されたとして

 

私は、私を愛せるか?

 

自分の言葉を押し殺して、他人に何も本音を話さない自分を愛せるか。本音を言わない人を私は好きか?私は本音を言う人が好きだ。だから私は自分が嫌いで、自分を好きになれなかった。傷つくのを恐れて、笑われるのが嫌で、嫌なことから逃げていた。そうして生きてたから、このままでも生きていけるのをどこかで知っていた。

あきらめたくない物が出来た時、笑われても否定されてもいいから、私が話すことでゼロの可能性が1になるならと、本当に震えながら声にした日の事を今でも覚えてる。本当に怖くて、なんども頭の中でセリフを唱えて、結局その半分も言えずにグチャグチャになった。

それでも拍子抜けするくらい簡単に受け入れてもらえた。その一回で今までの私が矯正される訳じゃない。その後も何度も震えながら、自分の希望を伝え続けた。否定もされた。否定されてもよくなってた。口にさえすれば、叶う可能性が出来るのだと知ることで、私の希望を叶えるのは、私自身なんだと気付いた。

 

自信がない、と一言で言っても、自信がない原因は1つではない。色んな物が絡み合ってその人を作り上げている。弱い部分を隠しながら生きている。その弱い部分を否定し続けている限り、絶対自信はつかない。『自分を好きになるには、自分を認めてあげる事』とよく聞くけど、認めるってなんだよ、承認なんかできないから困ってるんだよって思ってた。だから少しだけ違う言い方をしたい。

自分がダメだと思う、嫌いな部分が無くなったらどうなるのか。理想は簡単に想像が出来る。いつだって理想は脳裏にあって、その理想より自分が程遠いから「嫌い」という気持ちになっている。では、理想に近付くにはどうしたらいいのか。嫌いな部分が無くなれば良い。無くすにはどうしたらいいのか。

好きな物には全力でとりこむけれど、嫌いなものには最初から全ての努力を放棄してしまう。だから「出来ない」まま残ってて、苦手意識も芽生えてしまう。嫌いな上にはじめてのまっさらな状態とか厳しすぎる。こわすぎる。なんて未知なんだろうか。嫌いなものを知らなさ過ぎた。知らなさ過ぎて、それが本当に嫌いなのかも知らなかった。ただ怖かった。

 

知らない物を怖がるのは防衛本能的に正しい。だからじっくり観察をしよう。コイツ(嫌いなもの)は本当に危険なものなのか?触ったら爆発するのか?ちょっと近づいてみようか?もう少し近づいて触ってみようか?いや、触ったら爆発するかもしれないだろ! でもさ、これずっとここにあるけど

爆発したことあった??

 

そうやって葛藤して、苦手なものの先の理想の自分に近付けばいい。

きっと葛藤してもがいてる人こそ美しい。

迷い

年が明けて、真剣に色んな事を考えはじめた。自分の非力さに少し嫌になってる。

いつでも良い状態でいられるわけじゃない。去年は珍しくずっと機嫌が良かった。それが異常だったとは思わない。むしろ“本来こうじゃないとおかしかったのではないか”と思った。と、なると、今の状態はあまり良い状態ではないのかも知れない。去年出来て、今年出来ていない事があるのか。それとも真剣に色んな事を考えるのが、私らしくないのだろうか。真剣に考える事が、私らしくないって、どんな状態なんだ。

ひとりでいるのが好きなのに、去年は人とあれこれする機会が本当に多かった。それで疲れた事もあるし、ひとりじゃできない事も色々学んだ。楽しいと思えた。それにちょっと疲れただけなのか。無理やり人と繋がる必要はないのではないか?と脳裏にチラつく。

でもそれは今までの私。変えないといけない部分だと分かってる。でもそれも本当にそうなのか。それがまだ分からない。

今までの私は、自分に合った場所に運ばれていた。今の場所は何を示しているのだろう。ここを超えたら、私の本当にやりたい事が待っているのだろうか。だとしたら、しなくても、私は今の場所を全うしたい。

そう、それでも、全うしたいのだ。いつだって。ずっと。今までも。

なら、何を迷うというのだろう。何がこわいと思うのか。

 

去年の後半くらいから部屋の掃除をずっとしている。かなりの物が無くなった。何をこんなにため込んでいたのだろうかと思った。新しいテーブルに変えたら小さくなった分使いやすくなった。それに合わせて椅子も変えたけど、使いやすくなった。自分が思ってた以上に不便だと思ってた事は、部屋中にあった。それを全て捨ててしまいたいと思った。新しい物を迎え入れたくなった。それがなぜ今までできなかったのだろうか。ほったらかしにしていたのだろうか。今だから出来るようになったのか。自分の心変わりの意味が知りたい。そんなものに意味なんてないのかも知れない。でも私は知りたいと思う人間なのだ。何か1つ、その言葉1つ、そこに意味を見出したい。ヒントは少しでいい。それだけで10も20も生み出せるから。

自分の弱点として、人と関わると意見がぶれるという事があるのと、そのくせ誰かに背中を押してもらわないと一歩進むのが遅いという事だ。人の意見に気持ちを入れさえしなければどうだっていいのだろうけど、感情を入れすぎる。良い所なのかもしれないけれど、重荷でもある。長所と短所は一緒なのだろう。その中で自分の意見をどれだけ言えるかという事をずっと挑んできたつもりだ。その延長で一人で決断もしてきた。前に比べると遥かに良くなった。それは自分で言い切れる。それなのに、なんでこんなに気持ちにストップがかかったのだろう。私は何に私を縛り付けたのか。これが焦りというものなのか。私はこの状態の時が一番もろい。我慢するしかない。この一瞬を。黙って過ぎるのを待つしかないのに、いつも何かを求めてる。何がこんなに怖いのだろう。

 

言葉はダムの放流のように

おもうこと

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 

 

マザーテレサのありがたい言葉。

今年は周りと比べる物もなく、ただ一人で黙々と高みを目指した。環境が変わるとこれだけ違うのかと毎日が新鮮だった。自尊心が低いのにプライドだけは高い、こじらせ気味の私は、他人に対して「なんでこんなものもできないのか?」とよく腹を立てていたし、すぐに「無理」「できない」という人間が嫌いだった。それらに囲まれてストレスフルだった状態。抜け出せた今だから分かる。私が普通に出来ていた事は、一般的には少数派なんだと。

 

あれが一生続くとは思っていなかったけど、あの世界だけが現実だった。思考は言葉になって、言葉がダムの放流のように溢れる毎日。人を寄せ付けないオーラをまとって、最後は潰れた。比べる物がなくなった今。愚痴も出ないし不満もない。人の愚痴も余裕を持って聞ける。そんな自分に逢える日が来るとは思っていなかった。救いの手を差し伸べてもらえたのは、それだけの価値が私にはあったのだろうか。

 

上しか見なくなった。その思考から考えられる言葉の数々。人には言わずに心留めて、ひたすら地道に行動に移した。目まぐるしくチャンスは訪れ、逃さないように必死で掴み続ける毎日。人にどう映っているかなんてどうだっていい。私はこのままどこにたどり着くのかをただ知りたい。上しか見ない。走り続けてあの場所が見えなくなる場所まで、私は振り向かない。何度も何度も自分に言い聞かせて、今のこの状況に感謝する。

 

新しく知る事を楽しもう。知らない事をもっと知ろう。

生きている事が芸の肥やしになる。言葉を産み出す。

受け取る言葉には意味がある。受け流さずにどれだけ自分に落とし込めるか。落とし込めていたのか。本当は何も変わらず、ずっと側で見守られていたのではないか。

見落とした過去を知ろう。知らなかった事は自分の中にもある。それはこれから必要になると思ったから、新しく見えた事。新しい引き出しに変える必要があるから、見つけられたもの。

埋もれていた記憶の中に、すでにインプットされていた言葉の数々。これらを私はアウトプットしていくんだろうか。

今まで口にしていた言葉のニュアンスももっと大切にしていきたい。今まで使っていた言葉は過去の産物で出来ている可能性があるから。その効力じゃない言葉のほうが、これから先には合っているのかも知れないから。

全てが違って見える。全て違った角度で見たい。抱えていたものに飽きたんだ。もっと新しい言葉に出会いたい。