もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

たらればとか、ifとか

過去と今を比べて何度もしがむように過ごしてる。自分を諦めず、絶望を耐え抜いた日々を、心から良かったと喜べる日を迎えられている事。小さな出来事の1つ1つが過去と結びつけ、その1つ1つが今は全く違う色味をしている事を映し出す。

良いも悪いも永遠なんて無いにしても、あのもがいた日々が、自分の想像していなかった方へと舵を切り、全く知らない場所に辿り着かせた。あの日々を通過しなければ見えなかった景色に、目を見開いて驚く事しか出来ない。

もし、私があの時、感情に任せて全てを手放して自他ともにメチャクチャにしていたら、と思う。それはそれでよかったのかも知れない。その時考えられる行動としての覚悟は出来ていた。だからそれでも後悔はしなかったと思う。けれど、今の景色を見る事は一生無かっただろう。それを考えると恐ろしい分かれ道だったんだと、今だから思える。通り過ぎてからしか見えない事ばかりで、見え始めた今、本当に、本当に、本当に、あの日々を耐え抜いた自分を抱いてやりたいと思った。

スタートらしい物が見えた1年前。「1年、全力でやってやろう」と決めた。1年間、全力で走りぬいた。ゴールとする1年間のこの1か月は、新しい1年の為の調整が出来る余裕があった。1年と決めた場所は最低限の通過点でしかなくなってて、やりたい事が山ほどできた見つかった。過去は過去で、未来だけを見据えている自分に気付く。

 

足を掴まれるようなら、掴まれる前に、足を前に出そうと考えた。そうやって走って、いつか見えない場所まで行ければ、きっと色んな事を忘れられるのだろうと思った。見えない場所まで走れたかどうかは分からない。けれど「1年」と決めてから1年。その1年が終わる最後の日に、私の足を掴もうとしていた人は目の前から消える事を知った。

ずっと過去にとらわれて、目の前から消えてほしいと願い続けた。それを気にしてる自分は弱いと思った。この弱さと向き合う為に逃げずに毎日葛藤した。嫌な気持ちばかりだった。人にアドバイスは出来るのに、自分の事となるとこんなに難しいのかと、無責任なことばかりを人に言っていた事を知った。自分さえ我慢すれば丸く収まるという考えが正しい訳じゃない事を知った。色々気付かされる日々に、さし出された助け船。隣の島で過ごす事を許された。隣の島での新しい生活。全てを忘れる事は難しかったけど、環境が変わった事で、過去を考える時間は減り、変わりにその時間は未来を考える時間になった。自分を大切にしようと真剣に考え始めた。

自分を大切にしようと思ったから、誰に笑われようが本気で挑み続けた。まだ過去に囚われてるから、その日々を思い出して、こう思う。隣の島にも聞こえるほど、私は賛辞を貰い続けた1年だったでしょ、と。

きっと面白くなかっただろう。私がいつか転ぶ事を望んでただろう。もし転んだとしても、私はまた立って歩けばいいと思えるほど、もう誰かの笑い声はもう怖くなくなってた。

その相手が、もういなくなる。

 

もう本当に過去と決別を許される日が来た気がした。もう忘れていいと、誰かに言われた気がした。1年前に、こんなこと事になるとは思ってなかった。走りぬいた私への「頑張ったで賞」を貰ったような気分。

 

もう少しだけ、過去をしがむ日々は続きそうかな。

伏線

何でもない事柄が時間をかけて繋がった瞬間、都合よく運命だと思ったりしてしまう。それが2,3,4,5と重なっても、やっぱり都合の良い事柄なのだろう。

自分の経験から飛び出したいと思うのに、自分が知っている事は経験だけ。失敗したくない。失敗だと決めつけるのは、それ以外の可能性を考えた時に怖くて仕方がないと思うから。とりあえず、で、やる事が、私には大切なのだろう。失敗するにも、経験してからじゃないと失敗にもなりやしない。それくらいわかってる。

何度も考える。きっとどうあがいてもこの道は避ける事が出来ない道だ。大人げなくジタバタするのもいいのだろう。全力で叫んだっていいのだろう。私に足りない物は何なのだろうか。覚悟か、素直さか、自信か。

今までにないカードを引くなら、どう引けばいいのか。経験以外で私が引く術ばかりを考えてる。それが正解とも限らないけど、今までと同じ景色は見たくない。それ以外ならなんだっていい。違う方向を目指してみたいのだ。

最後は同じかも知れないけど、考え抜いて選んだカードなら後悔はない。悩むだけ悩んで、新しい選択をしてみよう。

人との価値観の違い

1人ならすぐに選択できるけど、誰かがいると選択できなくなる。それだけ私の意思は弱かった。人と違う選択をする事がおかしい、恥ずかしい事だと、誰に教えられた訳ではないのに、私は違う、と貫けなかった。

違う事を安易に見ていた。多数決ではないけど、それでその瞬間が早く進むならそれはそれでいいと思っていた事は確かだ。だけど、時々その前に読めてしまう事がある。それは良い結果を産まないのじゃないかと。その時だけが心残りだった。なんであの時に言わなかったのだろうという、思い出せないほどの小さな心残りの傷みだけが残っている。その気持ちが積もって、やっと、これじゃだめなんだ、と気付いた。

 

何が違うかったのか。私は何がしたかったのか。何に楽しいと思って、何に怒りを覚えるのか。その1つ1つが不明瞭で、明確化しなければいけないものだった。すぐに言語化できるほど素直じゃなく、それほど素直なら「その瞬間が早く進むなら」という考えにはきっとなっていない。積み重ねただけ、紐解かなければ。その忍耐力だけはついている。

 

人の優しさや心配をおろそかにするつもりはない。でも、自分の中の誓いを誇るなら、長い目で見て死ぬ気で走らないといけない時があったって良い。それは一瞬でしかないと私自身が思っている。「今」が大切なのだ。頑張りすぎているのかもしれない。けれど「今」乗り越えるなら、それくらいやらないと自分が満足できる場所に届かない。その方がずっと苦しい。人からのやさしさや心配で、惑わされる事はなくなった。その気持ちだけはありがたく受け取るけれど、私は止まりたくない。

 

少しだけ何かが変わりそうな日に、1年前の今日と同じ時の事を思い出してた。あの時、何を考えて歩いていたかは思い出せなかったけど、執念よりももっと強い、魂を破壊してでも自分を突き動かそうとしていた事は覚えてる。

今の私があるのは間違いなく、その時の私がいるからだ。あの時ほどの、むき出しのもろさはなくなったけど、水面下で動かしているのは同じ物だ。ある日突然、自分の中に産まれたもの。今の私を象るもの。形は変わり続け、この先もっと変わるだろう。だけど消える事だけはきっとない。

そういうモノがずっと自分の中にあったのに、ソレに気付かなかったから、人の意見に左右され、疑問は持ちつつ、なぁなぁにしてきた。でも産まれてしまった。私はきっともう、自分を守るためなら何かを失う事をためらわない。

金が無い時は自炊した

極貧時代は365日自炊で、お金が豊かになった分、時間が無くなった今は外食三昧。その生活にも慣れて心にゆとりが出来、少しだけ自炊しようかなという気持ちになりはじめた。そこで改めて気付いた。だてに8年くらい自炊していただけあって、冷蔵庫にあるものだけで作れるし、適当にペンッと料理を作れる自分がいる事に。

 

何かを作りだす事が好きだから、料理をする事がそこまで苦でもなかったけど、それでも365日自炊をするのに嫌気がさす時がなかったわけじゃない。やらなきゃいけないという気持ちでずっとやっていた訳じゃないけど、心のどこかで無理をしている部分は1%くらいはあったのだと思う。その苦労は無駄じゃなかった。生きていくために必要な筋肉をちゃんとつけていた事に気付いた。

 

時間にゆとりがないと心のゆとりも減るけれど、あの時の自分も同じだったと思う。バランスをとりながら、ゆっくりゆっくり、料理の腕もワンランクあげられたならいいな。

GOのサイン

悩んでる訳ではないけど、時々自分の中にある課題のような物を抱いている時に、そんな話とは関係なく他人からその答えのような事を言われたりしてハッとする事がある。数日前に聞いた話に対してフツフツとしていると、数日後に全然関係ない人からの全く違う話が、数日前のソレとリンクする、みたいな。そういう言葉を聞けた時、ちゃんと前に進めているんだろうという事を何となく思ってしまう。

最近そういった言葉をもらう感覚がどんどん短くなってて、前日の問題が、翌日に救われたりする。相手は何も知らずに私を助けてくれるので、笑って「ありがとう」という私の言葉を不思議そうに受け取る。

その中でもとびきりの言葉を私に渡した人がいる。何も知らずに、その瞬間、私の全ての呪縛から解放した。誰かがその言葉を私に伝えるように仕向けたのか。そうじゃないと納得が出来ないほどの衝撃だった。

 

『〇〇じゃないといけない』という考え方になりがちな私だから、誰かに背中を押してもらえるような言葉をもらうと本当に救われる。あの時に出されたGOサインを無視できず、だけど自分がその手の努力を怠っていた事も思い出して何をすればいいのかもがいてる。手放したくなる気持ちを手放せなくて、ダメだなぁとヘコみながらもやっぱり降りる気にはなれない。というか、降りる事は許されなくて、きっとこの道はどうあがいても通らないといけないと分かってる。誰かに背中を押してもらうんじゃなくて、これだけは自分でなんとかしないといけない。

 

きっと前に進めてる。ゆっくり、ゆっくり、進めてみよう。

髪を伸ばしたくて4か月我慢して美容院に行った結果

髪を伸ばしている。4か月我慢していい感じの長さになってきた。毛先は傷んでるけど。毛量がヤバイけど。こういう時に美容院に行くかどうかで悩む。美容院に行って「毛量だけ減らして」と言っても、物理的に切られてるから絶対に短くなると思っている。だから極力行きたくはない、というのが本音だけど、かといってこの見た目が女子としてイケてるのかと言われるとどうなんだ?とは思う。けど行きたくはない。

 

ただ髪も染めているから、4か月我慢すると根元がプリン化が進んで、そっちもかなり気になる。気になりすぎてこのストレスを胸に抱く必要あるか?いいや無いね、という事で美容院に行く事にした。

執着するとあんま良い事ない、というのが私の考えてでもある。悩んでいる間に「髪に執着してる気持ち」があるのは気付いていたので、毛先もカットしてもらう事に。

カットとカラーと、トリートメント。毛先は2~3センチ切ってもらう事にした。うぅ…4か月伸ばしたのに…1カ月1センチくらいしか伸びないのに…。仕方ない、キレイな髪になるためだ…。

カラーも傷みの少ないナンチャラカラーに変更して、春も近いしトーンも上げてもらう。仕上がりを見ると、スッキリしていてイイカンジだった。

そういやロングに憧れすぎてたけど、これくらいの方が長さ的には似合うんだよな…と思いだした。

翌日会社に行くと「なんか雰囲気違いますね」と言われた。毛量はガッサリいってもらったけど、長さはそんなに変わってない。色味もワントーン上げただけだし。それでも気付かれた。違う人にも「髪型変えた?素敵ですね」と言われた。男性でもこの微妙な変化に気付くのか!と驚いた。

 

と、同時に、やっぱり4か月は放置しすぎだったのか…。と、ちょっと反省。

伸ばしている間でもやっぱり気分よく過ごそうと思ったら、ちゃんと美容院でお手入れしてもらう方がいいのかも知れない。

 

正直自分でも時間が経つにつれて「別人か?」と思ったから。美容師の腕が良かったのかも知れないけれど、人よりも髪が多くて硬い私みたいな人は、人並みよりシッカリ目にケアしないと、なかなかイイカンジにはなりにくい所があるから。しばらくは気持ちよく過ごせそうだ。

 

私の頭の中の3択クイズ

ご飯を作るのを考えるのがめんどくさくて、同僚に今食べたい物を聞いて、言われたご飯を作ろうと思った。「豚キムうどん」だった。そんな気分じゃないと答えて、スーパーでキムチと豚とうどんを買って帰った。

もし明日結局何にしたのかと聞かれたらどうしようかと思って、三択クイズでも出してやろうかと思った。

 

「では昨日の私の晩御飯、3択クイズです。

1・ブタキムうどん

2・ブタキムうどん

3・ブタキムうどん

さぁ、回答をどうぞ」

とかって聞いて、え?って多分なるだろうけど、きっと優しいから3つから選んでくれるに違いない。そしたら私はこう答えよう。

「正解は、4・ブタキムうどんです」と。

 

晩御飯何だったかとは聞かれないけど、だいたいこういう事で私の頭の中はいっぱいです。