もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

正直に生きないと神様から叱咤激励受けるから

「これが天職だ!って思ってそれを手に入れる為に全財産つぎこんでさ、やってみたらそれが天職じゃなかったらどうする?浮かんでは消える想いが自分の中にあるねんけど、年齢的にもはじめるには遅いし、それが天職じゃなかったら怖くて・・・」前にあった時に友人がそう言った。

 

言葉をすぐに構築できるほどのスキルが無くて、瞬時に答えてあげられなくて、だけどその言葉に違和感のような引っかかりがあったから私の中では明確な答えがあると思った。その友人に今日会えたのでまとめた言葉を伝えた。

 

「もしそれが天職じゃなくて全財産失ったとしても、天職に就く為に必ず通る道として用意されてただけやと思う。そこで失望するんじゃなくて、違うかったって事を知る事が出来たから、やっと次に進めるんじゃないかな。その先にゴールがあるなら全財産そこで失っても結果的にはたどりつくんじゃないかな。」

 

天職が本当にあるのか分からないし、どれだけの人が「この仕事が好きだ!自分にしか出来ない仕事だ!」という気持ちで働けているのだろう。好きな事を仕事にする事はとても幸せな事だ。だけど好きな物をビジネスにすると結果を求められる事になるし、自分の意見や表現をことごとく潰されて全く別物に生まれ変わったりする。意見できるほどの力もなく、自分がたった今生み出したソレを自分の手でもう一度殺して、命を宿す作業。毎日それの繰り返しで、やるせなくなったら安い焼き鳥屋で愚痴をこぼす。心底嫌になった時もあった。それでも、そんな日々を送らずに、好きな事は好きだと胸をはって言えただろうか。

 

今の私は天職を与えられたわけじゃない。ただ自分が胸をはって「好きです」とは言えるようになった。それが周りから見たらバカみたいに見えるかもしれないけれど、そんな事はどうだっていい。言葉にする事が、ただ好きなのだ。もっと色んな事が知りたいと思った。覚えなくてはいけない事もある。意識の改革も必要。そんな事を考え出したら急に色んな物が押し寄せてきて気持ちが潰れそうになったりもするけど、それでも「辞める?」って聞かれたら「嫌です。好きです。」ってやっぱりなる。

 

何か結果を出せた訳ではない。夢を見ている間が一番幸せだったりもする。それでも楽しいな、これ遊びながら仕事してるようなもんだよねって思える今の私は天職に近づけているのではないかと思う。

 

友人が何がしたいのかは聞いていない。それを言葉にしてしまうと消えてしまいそうで怖いというのも分かる。その胸の中に閉まっている大切な物が天から与えられた物なのだから、自分を騙して生きている今に対して、神様からの叱咤激励貰ってるんじゃない?

「・・・ちょっといい加減にそれ始めなさいよ。何の為にアンタにそれ与えたと思ってんの?おれ、神様やで?あんたのそういう弱い所、アカン所やで。ちょっと今のうちから鍛えときや!テイッ!」ってゆって悩み事投入されてるんじゃない?

そういう叱咤激励なら、受けてもいいよね。いつも自分の事を後回しにして人の事ばかり考えてるけど、本当に欲しい物があったら「欲しい」って言って大丈夫。今は言葉に出来なくても、いつか言える日がきっとくる。自分が強く望めば黙ってなんていられなくなるから。