もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

友達の少ない私へ

私の言う友達というのは自分がサシで何でも話せるような相手の事を指す。どちらかというとコミュニケーションを取るのは上手い。気は利かないし愛想は全くないけど社交性はちゃんとあるし、わかりやすく好かれる事もある。だけど私は友達は少ない。小学生の時には小学生の時の友達が。中学生の時には中学生の時の友達が。高校の時には高校の時の友達が、といった具合で「渡り歩いてきた」感じで生きてきた。たくさんの人と出会ったけれど、今、私が会いたいと思うのは10人いるかいないかだ。

昔は友達の多い友達が羨ましかった。私もそんな風になりたかった。それから歳を取ってアラサーになった今、そこそこ社会の荒波に飲まれて軽く心を病んだ結果で思う事がある。世の中に友達の多い人間がいれば友達が少ない人間もいるという事だ。

とても当たり前の事を言っている。当たり前すぎて何のことやねんである。この当たり前の事を理解するまで、今までずっと気が付かなかった。

友達が多いと色んな所で色々な経験をして凄く楽しそうに見えた。キラキラして見えた。同じような経験をする事も時にはある。その時は楽しい。だけど、本当に楽しめているのかと言えば浅いような軽いようなよく分からない空気を肌で感じる。自分が好きなのは本音を語れるような一本の会話をする時間だから、望んでいる物がここには無いし、めんどくさいのだ、色々と。

たとえば「お花見をしましょう!○日です!雨の場合は中止です!」といって集まりがあったとして、結果雨なら中止でいいと思う。だけどその中の誰かが頑張って違うお店を取って「お花見はできませんが違う店が取れたのでこちらで楽しみましょう!」というノリがちょっとウンザリしたりするのだ。私は何もしていないから文句言う立場でもないので全く文句も言わないし頑張って取ってくれた人の苦労も分かるのでその人に対してはお礼も言う。お酒も話もしっかりと楽しむ。けれど、ここでは本音を言わせて欲しい。お花見じゃなかったら別に集まる必要ないと思った。半年ぶり、1年ぶり、同窓会をかねてとかだったら別の店を用意するのは全然分かるけど、いつでも集まれるしなんだったら先日やっただろうと。

自分でわかっている。「花見でなければ~・・・」という気持ちがあるなら、行かなければよかったのだ。付き合いだし、とか、お店を必死で取ってくれた人にも悪いし、などというワケの分からない気遣いをした自分が悪い。「ビアガじゃなくなったけど飲めるぞ~☆」という人種じゃない事にいい加減に気付けよ、私。

 そんな事を考えて自分の中で留めていた後日、私が友達だと思ってる1人と違う話で盛り上がっていたら、それと同じような事を言ってきた。そして彼女も自分がそういう人種だと理解しきれていないがゆえの、愚痴。貴方の事が好きなはずだよ。私とよく似てる。

「花見じゃないなら、いいわ」ってサラッと言ってしまうような人が、私はきっと好きなんだろう。そういう人が好きなら、自分もそういう人になるべきだと思った。