もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

伯父さんとの最後の思い出

おじさんが亡くなりました。38歳の時に病に倒れて63歳でこの世を去りました。私が物心付き出した頃にちょうど病に倒れました。おじさんが元気だった頃の記憶はほどんどありませんが、電話でいつも楽しそうにテレビで流行っていた歌のワンフレーズを歌ってくれた事を覚えています。

おじさんの妹である母におじさんはどんな人だったのかと聞くと「優しすぎるほどに優しかった」と教えてくれました。子供が大好きで親戚の子供や近所の子供の面倒もよく見ていたそうです。だから私の事も、兄はとくに可愛がってくれていたそうです。

そんなおじさんが病気になって25年。最後に会いに行ったのは2年前。その時病院で見たおじさんは、鼻にチューブを通され、やせ細って体を動かす事も出来ず、手は不自然に曲がったまま硬直し、声も「アー」しか話せない、いつもと同じ姿でした。

驚かさないようにそっと話かけ、何度も呼びかけると泣いて喜んでくれました。あまり興奮させるのも良くないので部屋から出て行くときも気付かれないようにそっと出て行きました。

おじさんの長い長い闘病生活も終わりです。

 

通夜に参加し、お経を唱え、何度も何度も祈りました。「来世ではおじさんの好きなように、自由に、生きてください」母からおじさんの昔の話を聞いていたので、心からそう思いました。通夜が終わり、ひとまず祖母をケアハウスに送り届けようと家族が打ち合わせをしていました。私はおじさんと留守番をする事にし、棺の中を覗き込んだり話しかけたりしていました。すると祖母が現れ息子の最後の姿を残しておこうと写メを撮るために棺の周りをウロウロしだしました。時代も変わったもんです。最後の姿も写メですよ。

祖母が写真の角度が決まらない、供養机が邪魔だ、みたいな感じでブツブツ言っているので私が変わりに写真を撮る事にしました。これでいいんか、思いながら。

そんな祖母サイドに気を取られて気付かなかったけど、その後ろでは家族がどういうふうに車を出したら後の予定がスムーズに行くのかという事で激論していました。やれだれが車を運転する、送った時に荷物を先にもっていくだの、ものっそい揉めてました。朝までやるならそれでもいいですけどね、線香とロウソクさえ消さなければ。

喪服で激論をする家族の姿を見ておじさんに

「ごめんね、なんかオチオチ寝てられない雰囲気やけど気にせずに寝てね」って無理なお願いと謝罪をしました。

家族に「はよ行け」と告げて、話もなんとかまとまったので母と祖母を残して父達が車を用意しに行って、やっと静かになりました。

( おじさん、やっと静かになりました。ほんと来世では自分の好きなように生きてくださいね )って棺の中のおじさんと心で会話していると、後ろで母と祖母がメチャメチャ揉め出しました。

母「私も分かってたし出たかったけど仕方ないでしょうがー!!!!怒」

母「だからー!怒」

母「そんなこと分かってるけ…うん…いや、だからー!怒」

 

「・・・・おじさん、ごめんね、おじさんの妹とお母さん、後ろでめっちゃケンカしてるけど、アレ、いつもの事やねん。いや、通夜くらい私も仲良くしてほしいんやけど、やっぱムリやったわ」

「いやほんと、心安らかに私は眠ってほしいんやけど、家族がなんかごめんね」

後から留守番になった兄が「・・・早く行かな車待ってるで・・・」って見かねて声をかけて、やっと出て行きました。兄と2人でおじさんに謝りました。通夜の後、私はおじさんに何回謝ったか数え切れません。

おじさんと留守番の間に、さっきの家族の激論の事と家族の事をおじさんと話しました。ずっと顔を見て話していると、おじさんがニコッと笑った気がしました。私が面白がって話してるからそう見えただけかもしれません。でも、なんだか嬉しくなりました。

しばらくして騒がしい家族が帰ってきました。母が「ただいま~」と言いながら棺まで歩いてきて、おじさんにも挨拶しにきました。棺を覗き込む母は言いました。

 

「あれ?なんかすごい穏やかな顔になってきたね」

 

母の気のせいかもしれません。私の思い過ごしかもしれません。それが家族の想いなのかも知れません。だけどおじさん、あの時やっぱり笑ってたよね?

 

今おじさんは誰もいない生まれ育った家でのんびりと過ごしています。初盆は来年だけど、来月のお盆に会いに行きます。今のうちに静かにのんびり、10年ぶりに帰ってきた実家を満喫しておいてください。すぐ騒がしくなりますから。