もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

先生にとって、はじめての生徒達だった

今週のお題「思い出の先生」

私が小学三年生になった時の、新しい先生は、教育実習としてはじめて先生を体験する22,23歳の男の人だった。先生は茶髪でいつもジャージを着てと便所スリッパみたいなスリッパを履いていて、子供と同じテンションで遊べるような元気さで、挨拶をすれば「YO!」みたいな気さくな感じの人だった。休み時間でも夏休みでも、いつでも「YO!」みたいな気さくな感じでニコニコしていて、私達と同じ目線で話してくれる先生が大好きだった。

楽しかった思い出の方が多いけど、怒られる事もたびたびあり、というか怒られる事が日に日に増えていたんだと思う。何度も怒られた続け、夏のある日、理科の授業で「オペラグラスで太陽を見る」機会があった。「先生は教室にいるから自分達で校庭の花壇辺りで見てこい」「遊びじゃないから校庭にいっても雑談とかせずにちゃんとするように」と言われた。みんなで揃って教室を出て、花壇の辺りで太陽を見た。しばらくすると教室の窓から先生が「戻って来い」と叫んだ。

教室に戻ると先生は激怒していた。「お前らは先生が見てなかったら、ちゃんと出来ないのか」「遊具に触ったやつおったやろ、こっから全部見てたぞ」と。捲くし立てるように怒鳴り散らされ、遊具を触った子供が手をあげるまで今度は静寂が続いた。

ポツポツと手を上げる縮こまった子供達に先生は結局、連帯責任として全員に軽いビンタをした。右端の席から順に左端まで先生が頬にあたる位置に手を伸ばして歩くような、軽いビンタだった。

今なら暴力だ!って大問題になるのかもしれないけれど、もう20年くらい前の話である。最近のニュースとかで学校の先生がモンペの対応に追われて大変とかって話しをよく聞くけど、私の小中学校なんて結構厳しい先生多かったけど結構マジメに育ちましたよって思ってる(笑)。

だからその授業が終わった休み時間、不満も言う子も確かにいたけど「先生怖かったね」「遊具触っただけであんなに怒られる?」とかそんなレベルでその日は終わった。

でも先生の方は終われなかったみたい。

次の日、朝、先生がマジメな顔をして教室に入ってきて、昨日の理科の授業の事を話し始めた。「先生は昨日のあの怒り方はおかしかった。全部間違ってた」という話を1時間みっちりし、最後に「本当にすいませんでした」と教壇で頭を下げた。7月の、蝉が鳴く、エアコンもクーラーもない暑いプレハブ校舎で、誰も何も言わずに頭を下げ続ける先生をしばらく見続けた。そしたらバツが悪いのと恥ずかしいのとでか「この部屋あついな!窓をもっと開けよ開けよ!」といっていつもの先生に戻った所で丁度チャイムが鳴った。「マジメに話してたら気温も時間も分からんくなるな」と、やっぱり恥ずかしそうに笑ってた。

 

あれから20年ほど経って思う。自分が先生と同じ年の頃、私は社会人として4年ほどの頃で、働きながらスクールに通っていた。やりたい事は沢山あったし友達とお酒を飲みながらドンチャンして、恋愛してテンションアゲアゲになったと思ったら失恋して友人に鳴きながら電話をしたり。今でもそうだけど、22,23なんて全然子供だったと分かる。そんな歳の頃に「30人の10歳の子供の手本になる」という仕事は難しいなんてもんじゃない。春に私達の先生になり、理想と現実の違にストレスをためて、ストレスの爆発の引き金として私達にビンタをしてしまった夏の日。1人になってからどれだけ後悔と自問自答を繰り返したんだろうか。人生で最大に悩んだんじゃないだろうか。

私は仕事で失敗したら友達とお酒を浴びるように飲んで二日酔いでゲロゲロなんて事もできるけど、先生は次の日普通に学校に来た。もしかしたら飲んだのかも知れない。飲んだけど、酔えなかったんじゃないだろうか。

自分の意思で職業は選ぶもんだけど、先生だって人間だ。先生だって学びながら生きている。あの日私達に頭を下げた先生は、私は立派な人だと思う。

 

高校を卒業するまで、年に一度の小学校の夏祭りで先生と小学校で会った。何年経っても「YO!」という感じで迎えてくれる先生が大好きだった。年賀状出さなくなったら返って年賀状がこなくなり友人から「アイツは返してこんからもういい!」といっていたと聞いた。いつかまた会えたらいいな。絶対「YO!」って変わってないんだろうな。