もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

記憶した事、忘れた事

友人が新しい一歩を進む為、遠く離れた場所に行く。その前に会っておきたいという事で一緒に食事をし、これからの事や今までの思い出話を織り交ぜながら会話をしていたら、私が完全に忘れてしまった記憶を友人が持っていた。今でも私を苦しめるその記憶の始まりの一部。何度聞いても思い出せなかった。

 

とても嫌な事が何年も前にあった。あの時と全く同じ感情を抱く事はもうないだろうけれど「完全に消すことは出来ない」が今の所の答えであって「時が解決する」に至る事はあるのだろうかと疑っては重い気持ちをごまかすように生きている。

「衝撃的な出来事」に「負の感情」がセットされた時、心に大きな傷を負う。で、人間って負の感情にとても支配されやすくて良い事よりも悪い事の方が印象的に残ってしまう。感情を大きく揺さぶられただけ記憶に深く刻まれる。忘れたくても忘れられないのは、結局自分が損しただけなのを認めてしまうのが悔しいのだろう。そんなプライド捨ててしまえばいいのは分かっている。分かっているけど・・・。

 

以前のように口に出すことは無くなったけど、記憶に深く刻まれたそれは、取っても取っても浮かんでくる煮物のアクみたいにしつこくて汚い。自分の心の問題として常に処理しなくてはならないと思っている。事件があったその時が友人と私の転換期みたいな時期でもあったので、その時の話もやはり出てきた。

友人「あの日、本当は2人で出かける予定だったのに、電話で『そんな所に行く気分じゃない。話聞いて。家に来て』って言われた時はビックリした。普段絶対そんな事言わないのに」

 

ん??ナンノハナシ???

 

まず友人が家に来た記憶がない。

自他共に「感情に起伏がない」と認めている私が、パニック起こしすぎて予定をキャンセルするような事など絶対無い。

しかも弱い姿を普通にさらしているのも非常に珍しい。信じられない。

事件は覚えているのに、その後自分がどうしたかとか細かい物は全部忘れてしまった。きっと友人が来てくれてとても嬉しかったはずだし救われたはず。他の友人達にもたくさん話をしたはずだけど、いったいどんな話をしたのかもう思い出せない。思い出せるのはその事件の事だけで、その事件も廃墟のように風化している事にも薄々気付いてる。後は手放すだけだと本当は知っている。

 

友人の話を何回聞いても思い出せなかったけど、そんなあの頃の自分があり得なくて白くて大爆笑してしまった。爆笑していると「そうやって笑えるくらいに元気になったんやね」と言われた。あの頃の記憶も嫌な気持ちも捨てられてないけど、あの時の私はもういない。

 

人生ではじめて「頑張ったね」と言えるような去年だった。後ろに執着していても、私は前を見ている。人は簡単には変われないけど、私を変えてくれるような出来事だったと心から思う。今はまだ完全ではないけれど、その記憶がある内はまだきっとやるべき事が残っているのだろう。「もう大丈夫」と言える日まで苦しみながら日々を過ごす。