もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

「(私たち)友達だよね!」で、一切信用できないと即座に判断

金曜ロードショーの間に入るスバルのショートムービーのようなCMが好きで、先ほどみたCMをとても素敵は話だった。転校したての男の子。友達がいなくて不安な気持ちいっぱいになっている所にクラスメイトの男の子がやってきて、前の学校の友達からの寄せ書きの手袋を奪われててしまう。ちょっかいかけられたと思って落ち込みそうになったすぐ後に、それがグランドに呼びこぶ為の男の子なりの不器用な誘い方で、サッ同級生達の輪に入って一緒にサッカーをする。日が暮れ、ちょっかいをかけてきた男の子のお父さんが車で迎えにきて「新しい友達か?」と聞くと、「うん!友達!」と答えて男の子の方を振り向く。

あぁ、これは転校してきた男の子は嬉しいだろうなぁ、と思った。「良い話だわ~。スバルのCM好きだわ~」といつもどおり心を満たされた。

このCMの「うん!友達!」は信用できる。転校してきて心細い所に寄り添うように男の子がやってきた事、第3者を含めて損得抜きで行動を共にした事、男の子と関係性の高い相手(父親の存在)に聞かれた事に対してのシンプルな問い。などなど、嘘じゃないであろう行動が見て取れるから「あぁ、良かったねぇ」と思える。転校してきた心細い気持ちはこの時点でかなり解消されたはず。あとはきっと頑張れるぞ少年!

 

こんな美しい「友達!」を見た後にセットで思い出すのも嫌だけど、昔っから簡単に「友情」とか「友達」とか軽々しく言うやつが嫌いだ。

大人になってから2度ほど「友達だよね!」とあえて言葉にしてきた奴らがいた。いい歳した大人が何言ってんの?と思ったし、言われた瞬間に嫌悪感もあった。否定するのもどうかと思うという大人の対応で適当に話を合わせた。結論から言うと2人とも絶縁した。1人はフレネミーで、もう1人は嘘で自分を縛り上げて自尊心を築き上げてるようなやつだった。2人とも自分が1番じゃないと気が済まず、自分の事しか考えてないのがスケスケだった。「友達だよね!」っていう言葉の契約でもしないと友達も作れないような人達だったんだろう。

 

大人になっても不安も孤独もある。けれど自立が出来ていれば友達なんていなくてもやっていける。相手との距離感も考えずに「友達だよね!」と勝手に何かを共有しようとしてくる人間は信用できない。その時点でコミュニケーション取れてないから。全然共有する気ないでしょ。重いだけだわ。友達履き違えるな。言葉を軽く見るなと言いたい。

 

そんな経験があるからかCMの少年達は美しく見えた。大人になるともうそんなね・・・・ドロドロですわ。