もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

欲望に忠実であること

友人に「1年前に、1年後にこうなると思ってなかったなんて沢山ある。だから今どれだけ考えても、1年後にどうなってるのかなんて分からない」というような事を言った。友人に言ったつもりだったけど、今それを思い出して自分に置き換えてる。1年後どうなってるかなんて、わからないのだ。

ここ半年の自分を取り巻く環境の変化と、精神的な変化は目まぐるしいものがある。自問自答を繰り返して、時間をかけて自分の土台をゆっくり積み上げ、その結果がこの半年に繋がった。

私は何が欲しかったのか、何を夢見たのか。

 

「満足したら終わりだ。欲求不満であるからこそ欲が産まれて、創造をする事が出来る」とずっと思っていた。そうやって生きてきたし、そこを通り過ぎての今だから間違いだとは思わない。けれど、満足したら思考が止まるという事はなくて、満足している今でも「もっともっと」と思い続けられている。欲求不満から始めた作り始めた土台に立ち、見たかった景色が近付いた。

 

嬉しいとか楽しいという気持ちは、自分がその出来事に対して本気で向き合えているから感じられる感情なんだと思う。嬉しくない、楽しくないという事は、その方向に向き合っているからだ。ハッピーエンドを夢見るのに、その方向からズレた方向を向いてしまう。

私は自分の欲求に本気で向き合えていなかった。『自分さえ我慢すれば丸く収まる』という自己犠牲。本当は我慢なんてしたくない。その気持ちを殺し続けることは、楽しいだろうか?嬉しいだろうか?そんな簡単な事に気付かなかった。

 

胸をえぐり取られて、取られた胸を踏みにじられた上で灰になるまで焼かれるような思いをした。私が何をしたというのだ!と心で叫んだ。何もしなかったんだ。ずっと自分に何もしてあげていなかったのだ。そんな自分を、あの日、えぐり取られたのだと今は思う。

ただ嬉しい、ただ楽しいを、素直に受け止める事を頑張ろう。私が何をしたのだ!という気持ちを抱いたまま、嬉しい、楽しいの方向に向き合うのはとても難しく、あたまでりかいしていても論理よりも感情の方が圧倒的に強い。感情が本音とは限らない。その感情は嬉しくもないし、楽しくないからだ。ひたすら辛い自問自答。ずっと続くのかと本気でそう思ってた。

 

そんな日も懐かしい。ハッピーエンドを本気で望み、願いはすぐには叶わず、数年かかった。今もハッピーエンドを望んでる途中だけど、この先は嬉しい事と、楽しい事を本気で考えられる。自分の欲望に忠実であろうと思う。

1年後も同じ事を思いながら、また違う景色が見れたらいい。この先は自分のその気持ちに全身全霊を賭けられる。