もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

おもいつらつら

辛かった時に文字を綴り続けた。誰に見せるわけでもなくひたすら書いてた。辛い時ほど言葉が産まれやすかった。落ち着きを取り戻すにつれて吐き出すモノも無くなった。書かなくなったわけじゃないけど、今はいらない、という日々が幸せだった。

今、それはあり得ない。幸せなのに言葉が産まれ続けるし、その言葉は前を向いてるものでしかない。後ろ向きな言葉に違和感と、その言葉を吐く事で感情が下向きになるのが分かるから吐かないようにしている。というか吐きたくない。書いても書いても書いても書いても、言葉が溢れ出る。こんな事、今までなかったから何の前触れなんだろうかと思ってる。

 

「過ぎて消化出来ればそれは財産になる」と言われた。「財産」という言葉の響きがとても良かった。その時に価値がなくても、時間が経てば味が出てくる。それが自分の好みとも限らないけど、愛着だとか色んな気持ちが沸き上がるもの。今の自分が好きだと言えるのは、この財産のおかげだ。本当に感謝してる。

 

その時はどうしたら手放せるのかばかりを考えていた。手放す為に嫌な事をずっと自分の隣に置いていた。「嫌だ」という気持ちを何度も認識させて、それに打ち勝つ必要があった。手放す事ばかり考えて新しい事にチャレンジしている間に、新しい事が楽しくなって、いつのまにか忘れてた。明確にどうしたかという事が思い出せないのに、いつのまにか手放してた。気付いたら私とソレらが交わらないように、見えない力でも働いているのかというほど交わらないようになった。私が変わってしまったのだと思う。自分の正しい時間の波に乗れているのが感覚でわかる。もしこれが私の時間の波なのだとしたら、やっぱり人と同じではないと思う。このことを今は何度も確認しないと、明日にはもう違う時間の流れがやってくる。

いつか「『1年後にこうなるとは思ってなかった』って絶対思うから」という事を言ってたけど、それすら今は1週間前の事が、予想だにしなかった事のオンパレードだ。今までの私なら避けていたものも、避けてる暇もないし、真っ向勝負してるから悔いもないし。自分だけは絶対に裏切らないという自信もついた。後は他人に対する甘えをもっと減らす事だろう。どれだけ独り立ちするんだって思うけど、多分そういう人間なんだろうなって思った。昔は「そんなに抱え込む必要はない」とか「一人で頑張りすぎないで」とかっていう甘い言葉に惑わされてたけど、もう迷わない。抱え込むし、抱え込めるだけの器を作れば「抱える」事にはならないし、一度頑張ればその先はサクサク進める事も知ったし。やればできるんだよ、きっと。

私がそう思ってからのほうがずっと、私が好きな人達が側にいてくれる。大切だと思える人達がいる。これが今の私の結果なんだとしたら正しい道を進めたんだと思う。

私は好きな人達と、毎日を過ごしたい。