もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

迷い

年が明けて、真剣に色んな事を考えはじめた。自分の非力さに少し嫌になってる。

いつでも良い状態でいられるわけじゃない。去年は珍しくずっと機嫌が良かった。それが異常だったとは思わない。むしろ“本来こうじゃないとおかしかったのではないか”と思った。と、なると、今の状態はあまり良い状態ではないのかも知れない。去年出来て、今年出来ていない事があるのか。それとも真剣に色んな事を考えるのが、私らしくないのだろうか。真剣に考える事が、私らしくないって、どんな状態なんだ。

ひとりでいるのが好きなのに、去年は人とあれこれする機会が本当に多かった。それで疲れた事もあるし、ひとりじゃできない事も色々学んだ。楽しいと思えた。それにちょっと疲れただけなのか。無理やり人と繋がる必要はないのではないか?と脳裏にチラつく。

でもそれは今までの私。変えないといけない部分だと分かってる。でもそれも本当にそうなのか。それがまだ分からない。

今までの私は、自分に合った場所に運ばれていた。今の場所は何を示しているのだろう。ここを超えたら、私の本当にやりたい事が待っているのだろうか。だとしたら、しなくても、私は今の場所を全うしたい。

そう、それでも、全うしたいのだ。いつだって。ずっと。今までも。

なら、何を迷うというのだろう。何がこわいと思うのか。

 

去年の後半くらいから部屋の掃除をずっとしている。かなりの物が無くなった。何をこんなにため込んでいたのだろうかと思った。新しいテーブルに変えたら小さくなった分使いやすくなった。それに合わせて椅子も変えたけど、使いやすくなった。自分が思ってた以上に不便だと思ってた事は、部屋中にあった。それを全て捨ててしまいたいと思った。新しい物を迎え入れたくなった。それがなぜ今までできなかったのだろうか。ほったらかしにしていたのだろうか。今だから出来るようになったのか。自分の心変わりの意味が知りたい。そんなものに意味なんてないのかも知れない。でも私は知りたいと思う人間なのだ。何か1つ、その言葉1つ、そこに意味を見出したい。ヒントは少しでいい。それだけで10も20も生み出せるから。

自分の弱点として、人と関わると意見がぶれるという事があるのと、そのくせ誰かに背中を押してもらわないと一歩進むのが遅いという事だ。人の意見に気持ちを入れさえしなければどうだっていいのだろうけど、感情を入れすぎる。良い所なのかもしれないけれど、重荷でもある。長所と短所は一緒なのだろう。その中で自分の意見をどれだけ言えるかという事をずっと挑んできたつもりだ。その延長で一人で決断もしてきた。前に比べると遥かに良くなった。それは自分で言い切れる。それなのに、なんでこんなに気持ちにストップがかかったのだろう。私は何に私を縛り付けたのか。これが焦りというものなのか。私はこの状態の時が一番もろい。我慢するしかない。この一瞬を。黙って過ぎるのを待つしかないのに、いつも何かを求めてる。何がこんなに怖いのだろう。