もちもちたいむびより

日々の出来事、思う事。

自信のつけかた

どうしようもなく自尊心が低くて自信も全くない、はずだったのに、「最近の(私)の自信凄いね」と言われて、おや??となった。今の環境だからついてる自信かも知れない。自分の自信に確信はないけど、1つだけ言えるとしたら「今の私が好きだ」と胸を張れる。どうしてそうなったのか。

やりたい事をやった。ほんとソレだけなんじゃないかと思う。やりたい事をやるために、嫌な事から逃げなかった。恥ずかしいという気持ちに負けなかった。自信をつけるためには、自分の弱さに打ち勝つ強さが必要だった。

 

少し強い言葉で言うのなら、自信がなくても、死のうと思わない限りは死ぬ事はない。少なくても以前の私の自信の無さは、死にたくなるほどの価値ではなかった。心の中に「自信がない自分」がずっと住んでて、息苦しくても、生きていた。だからこそ問題で、なんでこんなに息苦しく生きているのかなければいけないのかと思ってた。

 

昔から人前で話すことが苦手だった。私の言葉が受け止められなかった時に、傷つくのが怖かった。笑われるのが怖かった。頭の中で色んな事を思ってるのに、自分の本音は外に出さなかった。それで丸く収まるならと、言葉を閉じ込めた。

でも、私が言葉を閉じ込める事で、私の気持ちはどうなるの?スッキリした?全くしないよね。それが他人に対しての愛だというのか?そんな自分を、他人は愛してくれるのか?仮に愛されたとして

 

私は、私を愛せるか?

 

自分の言葉を押し殺して、他人に何も本音を話さない自分を愛せるか。本音を言わない人を私は好きか?私は本音を言う人が好きだ。だから私は自分が嫌いで、自分を好きになれなかった。傷つくのを恐れて、笑われるのが嫌で、嫌なことから逃げていた。そうして生きてたから、このままでも生きていけるのをどこかで知っていた。

あきらめたくない物が出来た時、笑われても否定されてもいいから、私が話すことでゼロの可能性が1になるならと、本当に震えながら声にした日の事を今でも覚えてる。本当に怖くて、なんども頭の中でセリフを唱えて、結局その半分も言えずにグチャグチャになった。

それでも拍子抜けするくらい簡単に受け入れてもらえた。その一回で今までの私が矯正される訳じゃない。その後も何度も震えながら、自分の希望を伝え続けた。否定もされた。否定されてもよくなってた。口にさえすれば、叶う可能性が出来るのだと知ることで、私の希望を叶えるのは、私自身なんだと気付いた。

 

自信がない、と一言で言っても、自信がない原因は1つではない。色んな物が絡み合ってその人を作り上げている。弱い部分を隠しながら生きている。その弱い部分を否定し続けている限り、絶対自信はつかない。『自分を好きになるには、自分を認めてあげる事』とよく聞くけど、認めるってなんだよ、承認なんかできないから困ってるんだよって思ってた。だから少しだけ違う言い方をしたい。

自分がダメだと思う、嫌いな部分が無くなったらどうなるのか。理想は簡単に想像が出来る。いつだって理想は脳裏にあって、その理想より自分が程遠いから「嫌い」という気持ちになっている。では、理想に近付くにはどうしたらいいのか。嫌いな部分が無くなれば良い。無くすにはどうしたらいいのか。

好きな物には全力でとりこむけれど、嫌いなものには最初から全ての努力を放棄してしまう。だから「出来ない」まま残ってて、苦手意識も芽生えてしまう。嫌いな上にはじめてのまっさらな状態とか厳しすぎる。こわすぎる。なんて未知なんだろうか。嫌いなものを知らなさ過ぎた。知らなさ過ぎて、それが本当に嫌いなのかも知らなかった。ただ怖かった。

 

知らない物を怖がるのは防衛本能的に正しい。だからじっくり観察をしよう。コイツ(嫌いなもの)は本当に危険なものなのか?触ったら爆発するのか?ちょっと近づいてみようか?もう少し近づいて触ってみようか?いや、触ったら爆発するかもしれないだろ! でもさ、これずっとここにあるけど

爆発したことあった??

 

そうやって葛藤して、苦手なものの先の理想の自分に近付けばいい。

きっと葛藤してもがいてる人こそ美しい。